旧岡花家住宅(木の花庵)重要文化財  大本  綾部 本宮町  綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財

会報6号 昭和47年7月30日 綾部の文化財紹介
木の花庵(旧岡花家住宅)について
1.序論
 この住宅はもと岡花金五郎氏の住宅で、京都府船井郡瑞穂町質志小字観音十九番地にあつた.新邸建築によリ不要になつたので岡花氏から大本は譲渡され、昭和44年夏に解体、46年に京都府綾部市本宮町大本本部内に移築再建きれた。丹波地方における屈指の古民家で平面およぴ構造の形式に注目すべき特色を有しており、民家建築として貴重な遺構である。

2、構造形式
 桁行12.1米、梁行8.8米の平面規模で、屋根は茅葺き入母屋造りで妻入である。平面は、表より奥に土間に沿つて「おもて」「だいどころ」「へや」の3室を並べ、さらに土間の奥にも1室を設け、大戸脇に土間の一部を囲って「まや」を設けたものである。 礎石は野面石で、その上に柱を立てる。柱は栗の銀仕上の角柱(13.5糎角)で、地貫と内法貫を通す.ただし「おもて」廻りだけはきらに飛貫がまわきれている。柱間が一間以上の土壁部分は中間に壁持ちの間柱がたつ。下屋は土間側に半間通りに一面あるだけで、上屋梁の梁間は四間ある。折置組とし、両端に桁行梁を、中間に一間間隔に三通りに地棟を含む束ふみ梁をのせる。地梁は間仕切部分を除く柱通りにまず梁行にわたされ、その上に桁行にわたして上屋梁を支承する。小屋組は棟束をたて、その両側に母星桁を支持する束をたて、その束の上端から水平に棟束に横木をきし込んで固めている。これは丹波地方の古民家に多く見受けられる特色ある手法である.
床は「おもて」のみ畳敷で、他は板張のまつとする。壁は土壁で真壁造りとするが、「おもて」廻りのみはたて張板壁とする。開口部は全体として非常に少なく、「おもて」一面一間のみを引違いとする他は、袖付引込戸形式としている。天井は全体に竹簀子を張る。

3.由緒・建立時代
 岡花家の由緒は明らかでないが、岡花家に所蔵する数点の古文書から江戸時代はかなりの高持百姓で村役階層に属していたと考えられる。享保十六年(1731)の「田畑ケ所附」によると、この当時所有していた田畑は、田十六反三畝十六歩、畑九反四畝二十歩で、石高にして、24石4斗3升9勺を数える。元禄郷帳や明治9年の高附帳による質志村の石高は、120石足らずであるから、当時の岡花家は村高の五分の一の石高を占有していたことになる。
 なお、25石という石高は丹波の山村ではそうざらにあるものではない。所蔵古文書の中で最古のものは、延宝3年(1675)のものであるが、これは銀三百目を貸した証文であり、17世紀ごろにおいても相当の財力をもった富農であったそうである。
 建物の建立年代は明らかでないが、形式手法から見て17世紀に遡ることは確かである。建立が慶安4年(1651)ごろとほぼ確証された北桑田郡美山町樫原の石田弘氏宅とは、平面形式が異なるけれども、構造や細部の手法に共通するところが多いので当家も石田家と匹敵する古さをもつものと思われる。これよりしてほぼ17世紀中頃に建ったものと認められる。

4.平面の特色
 平面の型式は、いわゆる妻入たて割土間型に属している.この妻入片土割片土間型、すむわち妻入で、内部を棟通りで左右に分け、一方を通して土間とし、他方に一列ないし二列に室を並べるという型式の平面をもつ民家は、摂津国と丹波国の国境地方すなわち摂丹山地を中心して京都、大阪、兵庫の三府県にまたがって分布している。当家はこの型の分布域の北限に位置していた。
 当家の平面型の特色は、「おもて」すなわち座敷が十畳の大きさで、半間だけ土間に張り出していること、土間の奥に幅一間の室のあること、の二つにしぼられる。座敷の大きいことは、当家が有数の高持百姓であったことからも推測されることであるが、この家の家路の高さを表現するものであろう。
内部の構成は、そうしたことを特に意図しているようである。
 丹波地方のこの形式の民家で高い家路をもつ家は、しばしば続き座敷として角屋に造るが、当家は角屋形式が成立する以前の形式の民家の数多い例の中で唯一の例である。その用途は明らかでなく、隠居部屋あるいは米倉といったことが想像されるにすぎない。
 平面の寸法計測は、6.5尺と8尺を基準単位としている。「おもて」と「へや」通りの奥一間は6.5尺を柱間単位とし、「だいどころ」の桁行は8尺を柱間単位とし「おもて」の前の縁(「えんげ」という)幅は、8尺の半分の4尺になっている。「おもて」は畳数を前提とした寸法構成になっている。

5.構造の特色
 構造は非常に古風である。柱は室境通りに梁行に一間毎に配置されている。柱間は貫によって固められ、指鴨居は1本も用いられていない。貫は地貫と内法貫だけで胴貫がなく貫数はすくない。飛貫は「おもて」のまわりにだけもちいられているが、これは意匠上の意味がつよい。
 地梁は、室境通りをのぞいて縦横に組まれているが、正面の「えんげ」を含む4尺通りと、背面の1間通りには地梁はかからない。したがって、この二つの部分は中央の構造体部分に付帯した格好になる。この地方でも江戸中期以降のものでは、これらの部分は一部を必ず下屋とするが、当家ではこの部分は構造的には下屋的に扱いながら、なお天井高さは上屋高さに保っている。このように当家の軸部構造は、下屋が4間につく一般的な構造形式になる以前の型を示すものとして興味深い。
 小屋組は「おだち、とりい」組であるが、横木と棟束とのとり合わせが、棟束に穴をあけ、横木の先を細めて両側からさし込み、くさびで締めるという原始的な手法によっているなど、「おだち、とりい組み」としても古い構造形式を示すものといえる。

6.当住宅遺構のもつ意義
@妻入たて割土型に属する遺構としては、梁間が四間で大きく、かつ17世紀に遡る古さをもつ点で類例がすくない。
A妻入たて割土間型に属するといいながら、土間奥に一間通りの室がつくられるのは、これが唯一例で非常に異色である。これは今後この形式の民家とその周辺の民家との関連性を遡行的に考察する上で重要なものになると思われる。
B丹波民家の古い構造形式を典型的に示している。
C保存状態か良好である.梁はその大部分が残されており、柱も背面適りがすべて中古材(銀仕上)に替えられていた他は、ほとんどが当初村で残されていたので、大部分は正確に復元することができた。
D古文書によってある程度由緒が明らかである。初期高持百姓の家構を示すものとして、歴史的にも意義が深い。
指定文化財 重要文化財 旧岡花家住宅 (木の花庵 建造物 1棟 江戸時代
取材記:HP「綾部の文化財」は「文化財と人とのふれあい」をテーマに編集しています。重要文化財「木の花庵」が実際に使われている場合の取材を企画し、かねてから大本さまのHPリンクについてお世話になっている、西永篤史@大本情報通信さまに連絡すると、綾部大本の事務局に連絡してから取材してくださいとのことでした。新春の大本節分祭の人型申し込みを例年のごとく「IT」で行い、その玉串料と会報から再録したこのHPコピー(写真、図録なし)を持って長生殿の受付に行き、松香館に回ったところ、広報担当の女性職員、大島さまの丁寧な応対をいただきました。鹿子木旦夫氏もおられ、春に大本協賛会総会があるのでその時が良いのではと言うことで、日程が決まれば知らせていただくことになりました。3月に入り5月31日(火)の連絡があり、本日取材してきました。
大本協賛会総会は、弥勒殿の大広間で行われ、木の花庵では、お茶席と外には緋毛氈を広げた床几がおかれ、直会(なおらい)の準備がされていました。四方綾部市長や於与岐の吉田登氏(おおもと協賛会会長)、富士印刷の佐々木社長、東・中神宮寺自治会長など大勢の方々が見えておられました。