小畑の六左衛門 の話し (民話伝承       綾部の文化財へ

小畑六左衛門翁之碑 「ポイの餅」
ある日、報恩寺(ほうじ)の嫁の里へ行った時「ぼたもち」をごちそうになった。六左衛門はあまりにおいしかったので家でも作ってもらおうと思って「この食べものは何か」と尋ねると「ぼたもちや」と教えてもろうた。
忘れんように帰ろうと思って「ぼたもちぼたもち」ととなえながら帰ったそうな。途中で川があったので「ぽい」ととんでわたった。そのひょうしに忘れてしもうた六左衛門「はてな?」ああそうそう「ポイのもちだったわい」と思い出し「ポイのもち〜〜」と家に帰りついた。
嫁さんに「ポイのもち作れ」と大声でいった。嫁さんは何のことかさっぱりわかりません。仕方なく「ポイのもちは作れんが、ぼたもちならできる」と「ぼたもち」をさし出すと、六左衛門は「そうだこのもちだ」といって大きな口をあけてパクパク食ったそうな。

小畑六左衛門は「三坂峠 さんさかとうげ」を越えて、報恩寺(ほうじ)の嫁の実家に行ったと云うことです
とよさとにし つばさがはえるちず
京都府綾部市豊里西地区−小畑町・鍛冶屋町・小西町− (八塚ケ谷の景色
NPO法人里山ねっと・あやべでいただいた散策マップです「ようこそ、そらいろの大地へ

このマップ栞にも次の小畑六左衛門民話が集録されていました

くすくすくす
 小畑の六左衛門さんが買い物やお土産をいっぱい持って、町から帰る途中、日が暮れてきたので宿屋に泊まることにしました。欲張りの宿屋の女将さんは、あの荷物を置いていってくれないかなぁと思いました。「それには食べるとぼけて物忘れをするという、みょうがを食わせるに限る!」もっと欲張りの宿屋の主が言いました。
女将さんは早速裏の畑から取ってきた、みょうがを、お汁やおかず、そしてご飯の中にまでもたくさん入れ、六左衛門さんに食べさせました。すっかりのぼせて、さっさと床についた六左衛門さん。次の日「早く買い物やお土産を届けなければ」と慌てて宿を飛び出してゆきました。それを見た女将さんは荷物を忘れていったに違いないと部屋を探しに探しましたが何一つ残っていません。
 そんなはずはないがなぁと考えていた主がやがて思い出したように言いました。「忘れた忘れた大変なものを忘れた。夕べの宿賃もらうの忘れた。」宿屋の夫婦もみょうがをたくさん食べていたのです!六左衛門さんのほうは荷物こそは忘れなかったけれど、宿賃を払うのを忘れてしまっていたのでした。
1587年(天正15年)おっちょこちょいで争いごとでもユーモアに変える力を持った小畑六左衛門さんは、この豊里地区に生まれました。笑うことによって幸せな空気が創られることを知っていた六左衛門さん。その数々のお話、生き生きした景色は、時代を超えて私たちまでも幸せにしてくれるのです。
空山の麓に小畑祭りの幟が翻る「六左衛門村」むかし「小畑六左衛門」という面白いユニ−クな人がいたという。
花と民話のふるさと 六左衛門村 花しょうぶ園
村名を拝借した小畑六左衛門さんとは。
天正十五年に生まれた小畑六左衛門は、今の豊里地区の鍛冶屋、中、小西、それに物部地区の新庄併せて、3,329石の豪族であった。巧みなる狂歌で、土地争いを和解させたり、分限者から貧者にものを分けさしたりした。例えば、こうじゃ。あるとき六左衛門爺が野道を通りかかると、二人の農夫が今にも鍬でも振り上げかねない喧嘩をしている。爺が中に入り理由をきくと、土地争いなのだ。爺は二人にこう言った。「大声(大肥え)したる芋なればこせこせ(小畝小畝)言うな。作は上々。」と言って和解させたそうな。
延宝五年六月二十二日
独爺 善宿信士 位九十歳
俗名 小畑六左衛門
NPO法人里山ねっと・あやべ
小畑のヤッコ振り」は元小畑小学校の付近で12時半頃にと聞き、下調査に元豊里西小学校であるここ「里山ねっと・あやべ」事務局に尋ねに入った。元小畑村小学校とは当所のことであった。このHPにあるように里山交流研修センタ−として、さまざまな活動を展開する拠点になっている。
現在ホ−ムセンタ−「ケ−ヨ−」の創設者である永井幸喜氏(地元出身者・綾部名誉市民)の寄贈された永井基金(永井賞)を引き継ぎ、農村と都市の交流事業を担う拠点施設「幸喜山荘」が完成している。
小畑六左衛門民話伝承 「ポイの餅」ル−トは三坂峠越え
三坂峠(さんさかとうげ)
 綾部の文化財を守る会の四方事務局長に調べていただいた結果、次が判明しました。
「鍛治屋町在住で郷土史講座幹事、守る会常任幹事の塩見次郎氏曰く、小畑六左衛門は「鍛治屋町の三坂峠(さんさかとうげ)を歩いて越え、私市の報恩寺の嫁の家に行った」そうです。 2008.01.19

袋峠
  HP:市境の三角点 △小西(184.29m)
地元の人に袋峠の名前を教わりました。
福知山の報恩寺(ほうじ)に行く、小西からの一般ル−トで以前は良く使われていたと聞きました。

鍛冶屋からの峠も近くにあり、小畑六左衛門が「ぼたもち」の伝承民話を、報恩寺の嫁の実家からの帰りに残したのもこのル−トだったのかも知れない
或いは、犀川を下り、小西から更に由良川に出て、昔は運行されていたという由良川廻船ル−トを利用するような水路もあったのかもと想像をたくましくしています。

この小畑地区には、小畑の本庄奧から福知山の観音寺に抜ける「金谷峠」もあります。地図はここをクリックください
あやべ市民新聞に、小畑地区の有志の方が集まられ、労力奉仕で「小畑の本城奥から金谷峠へ」の峠道を、散策ル−トにと整備された記事が報道されました。
昔は福知山の観音寺まで峠を越えて約一時間ぐらいで、よく利用されていたと言うことです。 2008.01.15
参考 HP:宗谷(285.86m)市境三角点 金谷峠