| 上まで続く石段と大鳥居 | 二の鳥居から本殿へ | 本殿前に寄り添う杉の巨木 | |||||||
祭神 須佐之男尊 例祭 9月5日(現在は10月5日) 本殿は、寛政6年(1789)領主の許可を受け再建に着手。6年後、若狭日置村の彦兵衛の手によって落成。 古文書に「若狭日置村彦兵衛、此人宮宅普請功者大工故頼被申候、作両高 銀四貫五百匁 米二十石 相極候」と記されている。 鳥居には「正一位坂尾呂大明神」の額がある。
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| 世継ぎの杉立札 標注 摂社 | 弁天宮社 | 摂社の背後も巨木の森 | |||||||
| 坂尾呂神社 世継ぎの杉は: 平成4年社務所建設のため伐採された樹齢約400年の大杉の後継ぎとして、氏子中の世継ぎの安泰を祈願し、元伊勢皇大神社の大杉の種子を、京都府緑化センタ−で育成の苗を、平成14年の秋祭りに植樹したものである。平成14年10月吉日 坂尾呂神社総代会。 | |||||||||
取材記:午前中は好天気であったが、午後上林に入ると雨であった。武吉町の玉泉寺を取材し、小雨気味の中を十倉名畑町の神牟奈備神社前の府道に駐車し、本殿に上がり阿上社ご神体の石碑(綾部市最古の金石文:指定文化財)を取材。更に北上して睦合町の宝蔵寺前に駐車。名前が宝蔵禅寺とあったので取材を中止し、さらに北上してi五津合町の上林禅寺を雨の中で取材。大町交差点を経て上林温泉進入路を通り越し、古屋から洞峠に向かう府道交差点手前で、通行者に金剛寺、坂尾呂神社、宝蔵寺の所在地を尋ねた。 金剛寺は橋を渡りすぐの所の右手に寺の門柱があるとのこと。いつも山帰りに寄る、蕎麦屋かんばやし「の」の隣であった。寺のあるのは知っていたが、寺名は知らなかった。 一方、坂尾呂神社は、山の向こうだと言われた。金剛寺で取材中に寺の奥様?が顔を出されたので、取材の断りとHPの説明をした。雨も上がりはじめ、上林の山々に雲が立ち上がっていく。 草壁川の対岸に渡り車を走らせると、高い石段があり、途中に大きな鳥居が建つのが目に入った。 車を止めて見ると、坂尾呂神社参道の標柱が建っていた。 一直線の急な石段を登る。途中に大鳥居があり、「正一位坂尾呂大明神」の額が上がっていた。さらに石段を頂上まで上がる。何と、少し下り気味の平坦地で一本の道があるだけ。少し行くと先方に鳥居と神社が見えてきた。下りの石段があり道が横切りまた登りの石段がある。つまりこれが山の向こうの意味なのだ!神社の前には2本の大杉が聳え、左手の大杉は斜めに生えていて、頂上では右の大杉と交差していた。神社背後の森も巨木が多い森であった。帰りは左手に降りて村道を通って車まで戻った。 |
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