正暦寺 綾部 寺町 正暦寺の文化財の詳細へ 綾部の文化財一覧表へ 綾部の文化財
![]() 本尊 観世音菩薩 御脇立 不動明王 毘沙門天 御詠歌 何鹿やいかに名づけて那智の山 滝も綾部の浪に乗るらん 三熊野をここに移して那智の山 後の世てらす慈悲のみのりに 縁起および沿革 当山は人皇六十一代朱雀天皇の天慶五年、釈空也上人当地巡教のみぎり、上人四十二歳の厄除けのために聖観世音菩薩の尊像を彫刻され、須知山の頂き「霊山ケ嶽」に安置された。これが当山の開創である。この年から数えて、平成十四年は一千六十年目にあたる。 その後、六十五代一条天皇の時代、聖楽上人はせっかくの霊仏が山頂に鎮座されて、諸人の尊敬も十分でないことを歎き、現在の「桜戸」に移し、七堂伽藍を建立し密教伝道の道場とした。これ正暦二年のことで、開創から四十九年後であった。その年八月、炎暑はげしく、旱害各地に生じ、朝廷では諸国に勅のりして、雨を祈らしめられた。聖楽上人その撰にあたり、雨を祈ったところ、功績たちどころに顕れ庶民その恵みにうるおうこと多大、天皇いたくその功績を賞され、特に年号を寺号に用いることを勅許されて、正暦寺と名づけられ、かつ勅願寺に准ぜられたという。 降って平氏の盛んな時代、小松内大臣平重盛公、当山御本尊に深く帰依し、あまたの荘園を寄進し、かっ当地の地形が紀州熊野の環境に酷似しているとして、熊野三山を当地に移し、山号を那智山(旧須知山)と称した。これ当山山号の由来であり、当市内に熊野神社もあり、本宮、新宮等の名称の地区が今でも残っている。 その後寛文十二年、鳥羽より入封した藩主九鬼式部少輔隆季候、深く当山本尊に帰依し、数多くの供田を寄進し、かつ祈願寺と定められ、なお家中の諸氏進んで当山の檀徒となり、寺門の再興に協力されたため、次第に寺門の基礎が固まった。湛信上人が住持の時、伽藍等が甚だしく損傷しているのをみて、大改修を発願、藩主の後援を仰ぎ、遠近檀信徒に呼びかけて、ついに天保九年本堂を改築、続いて庫裡その他寺内の堂宇、山門にいたるまで、総改築の大事業を完成した。 その後明治維新の変動に遭い、藩主の庇護は離れたが、幸いに本尊菩薩の御威光、高祖大師の御偉徳ならびに檀信徒の熱烈な信仰護持によって、寺運の衰微を免がれた。 なお昭和三十五年には、御本尊観世音菩薩三十三年目の御開扉大法要を厳修、戦時中供出した梵鐘の再鋳も成り、又当山に安置する大聖不動明王を、交通安全・諸願成就の本尊として柴燈大護摩供を執行し、爾来毎年一月二十八日初不動御縁日に盛大に修している。 昭和五十八年三月には、宗祖弘法大師御人定一千百五十年御遠忌大法要を厳修し、その記念事業として境内を拡張し、不動堂、大師堂を建立し、更に日展特選作家渡辺誠二氏謹製の幼没水子地蔵尊を建立し、各家の分身水子地蔵尊を祀り、毎月二十四日(お地蔵さんのご縁日)を定例供養日としている。 高齢化社会にあって、長命で楽しく幸せな老後を願い、由良川が眺望できる新境内に楽寿観音像を建立し、平成元年五月には、三府県(兵庫・京都・滋賀)で「近畿楽寿観音霊場会」を開創し、当山は二十一番札所として近隣の人々の信仰を得ている。 平成五年三月、御本尊御開扉法要を高野山管長猊下の御親修のもと厳修、記念事業として位牌堂・大師堂を建立し、大師堂には雪舟より十七代目長谷川等伯の末裔、春洋画伯の襖絵が完成した。 名 勝 当山の環境風致は極めて秀麗。由良川の清流を脚下に、JR山陰本線、国道一七三号線、国道二十七号線が川岸を走り、ひねもいす川のせせらぎが耳になつかしく、川霧晴れるころの眺めは一幅の絵である。南の大師山は春の若みどり、秋の紅葉に視覚をよみがえらせる。優娩な桜ケ丘のさくら、由良川の雪景など、綾部八景のうちに数えられる綾部屈指の山紫水明の地である。また、書院横の江戸時代前半の立派な枯山水の庭は、京都府指定名勝庭園である。 什 宝 涅槃図一幅 兆殿司筆 重要文化財(旧国宝) 現在祭良国立博物館へ出陳中 千手観世音菩薩立像 平安時代の作 市指定文化財 大般若十六善神図一幅 室町時代初期の作 不動明王像 鎌倉時代の作(輿教大師作) 九鬼家寄進の駕籠
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正暦寺石段 | 鐘楼門 | 本堂 | ||||||||||||||||
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鐘楼門 境内から | 本堂 | |||||||||||||||||
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萩の庭園 |
弘法大師 修行像 |
開山供養塔 | ||||||||||||||||
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本堂 庫裡 | 洗心 | 名木 サルスベリ 樹周1.8m 樹高4.1m | ||||||||||||||||
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鎮守堂 |
地蔵菩薩 |
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四国八十八カ所 勧請 | 位牌堂 | 四国八十八カ所 勧請 | ||||||||||||||||
![]() 正暦寺は天慶五年(942)空也上人によって開創されたと伝えられ、後に正暦の年号を寺号に授与された真言宗の古刹である。また秘仏、聖観音像がご本尊で、古くから広く尊崇を集めてきた。 当庭園は、第十五世湛信上人が、藩主の後援を得て天保年間に完成させた。庫裡の西側に位置し、江戸時代中期に作庭された枯山水の名園である。約159平米の広さをもつ庭園内は、小高い築山のほぼ中央部に雌雄二つの枯れ滝を組んで全庭の重心とし、鶴島や出島、岩島さらに三尊石組、洞窟石組などを配石する優れた構成になっている。こうした構成の巧みさや、チャート、硬砂岩等地元産の大振りの石を用いた石組の力強さと巧みさ、更に石一つひとつの据え方に高い技術が伺われる。また背後の藤山を借景に取り込んだその姿は、府北部最優美の庭園との評価に違わぬ美しい景観を呈している。 正暦寺の有する仏涅槃図(明治37年2月国指定)千手観音立像(昭和45年3月市指定)と共に、当庭園は、親しく鑑賞するに値する貴重な文化遺産である。 平成6年7月 那智山 正暦寺 |
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水子地蔵 |
不動堂 |
楽寿観音 |
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客殿 | 本堂の見事な甍 | 名木 ケヤキ 幹周4.4m 樹高32m | ||||||||||||||||
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六地蔵 | 六地蔵と無縁仏 | 田野街道案内 | ||||||||||||||||
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札 所 近畿楽寿観音霊場 二十一番 綾 部 西 国 第一番 郡 西 国 第一番 丹 波 国 西 国 第二番 両 丹 四 国 第一番 所在地 綾部市寺町四五 (JR山陰本線綾部駅より東南約1.7キロ) 水子供養寺 : 毎月24日 定例供養日 交通安全祈願寺: 1月28日 不動明王大祭(大護摩奉修) 萩寺: 萩まつり: 9月中旬 |
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丹の国・綾部より |