当八幡宮は、石清水八幡宮の別宮で、如意別宮といい、高津莊の総社である。 当社の縁起によれば、もとは法道仙人の開いた密教練行道場であったが、元慶五年(881)山城国男山から金鳩が飛来したのを奇瑞として、八幡宮が勧請されたと伝える。明応九年(1500)災禍に遭い、社殿を焼失したが、翌文亀元年に再建された。別当寺は御所坊、極楽寺などと称え、後に究意院と改め、、醍醐三宝院派に属した。 ![]() 近世初頃、福知山藩主有馬豊氏、綾部藩主九鬼隆季など歴代領主の尊崇を得て、社領の寄進をうけている。 現在の社殿は、九鬼隆都の企てにより、天保十年(1839)起工、嘉永五年(1852)に完成した。 宮大工は、地元延村の桑原兵右衛門で、向背の竜彫物は、大坂の彫物師の手になる。 府下でも有数の代表的社寺建築である。 なお参道の長い石段に、天明四年(1784)から文化十二年まで、二十余年にわたり、村民の寄進により築造されたものである。 綾部の文化財を守る会
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| 会報36号 平成5年4月25日 山下潔美氏(故) 狛 犬 今年三月十三日京都新聞に、京都東寺の旧蔵品で日本最古の狛犬が見つかった記事が出ていた。記事の中に、「獅子(しし)と狛犬の一対」の木像とあった。そして、獅子は口をあけた阿形(あぎょう)、狛犬は□を閉じた吽形(うんぎょう)。狛犬は頭に角があり、腹部にろっ骨のかわりに模様が入っている点などが獅子と異なるとある。 又、獅子は仏典「獅子座」に出来する守護獣で、奈良時代には獅子二頭を一対とするのが通例であったが、平安時代になって獅子と狛犬が一対になるのが一般的であるという。 文化財用語辞興では、狛犬は獅子と狛犬の組合せで、宮中や神社に置かれた守護獣の像で、平安前期にこの組合せが確立し、獅子・狛犬と呼ばれたが、後世には狛犬の名で総称されるようになった。 古くは宮中の御簾や几帳の裾にあおり止めの鎮子として置かれ、やがて神社にも取り入れられた。神社では神殿内の神座近く、或は縁に置かれ、もとは木像であったが、後に石造となって参道両脇に配置されるようになったと。 私はその新聞を読むまで、いわゆる狛犬が獅子と狛犬で一対であるということ、阿形が獅子で、吽形が狛犬であるということ。狛犬には角があるということなど全然知らないでいた。 平成二年七月、高津八幡宮所蔵の木造狛犬が修理を終えて帰ってきた。市史上巻257頁の写真では角がなかったが、修理を終えたものには角が付いていたが、この説明を見てなるほどと合点がいった。 ちなみに神社にある狛犬に角があるかどうか調べてみたが、大抵の狛犬には角に当たるものが見られないが、極くまれに、頭部に円い餅畳のふくらみをもっているものがあることもわかった。 神社での狛犬の配置は普通、阿形が向って右、吽形が左になっているが、時にはその逆の場合もまま見受けられる。 狛犬の台座には、奉献の文字があるが、獅子(阿形)が「奉」で、狛犬(吽形)が「献」である。 阿形の口の中に丸い玉が入っている。どうして入れたのか。どうして残したのかが正し い質問かもしれないが・・・ 神社へ参拝していつも見なれた風物の中にも、私達が知らない、気づかないいろいろな事柄がたくさんあることに気づき勉強させられた。(山下潔已) |
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