薬師堂  八田 梅迫町  綾部の文化財一覧表へ  綾部の文化財

梅迫薬師堂
場所 小字薬師平十八番地
祭神 薬師如来
祭日 9月21日
由緒 村を守り住人の安泰を祈る為に、村の中央から東方に、薬師如来と阿弥陀如来を祀るものである。本尊を東方薬師如来とよんでいる。
口伝えによると、お堂の周りは大木が繁る森であった。薬師如来は七体薬師と称し、一本の巨木を以て七体の薬師を造って奉安したとの伝説がある。古の薬師如来はよく盗難の被害を受けたといわれている。
 昔、梅迫の住人、吉田興惚右衛門は後に入道して、善照と号したがこの人が、難病を煩い命乞いをして、願が成就し、貞享3年(1686)ここに御堂を建立した。その後外側を村で造営したという。
 その当時の厨子正面の額は、高雄常性と高雄忠昌の両人がこれを寄進したという。其の時の領主谷帯刀衛周公より、十二神の薬師を寄進せられ又薬師堂料として元禄元年(1688)古墳を伐り開いて畠として寄進せられた。此の時の政所は、譜代の臣松田氏磯部団右エ門周徳、裁可したその後享保も年に至るまでに又々十神を失って、同じく十年頃には二神だけが残ったと伝えられている。これから見ると薬師堂は余程壮大であったと想像出来る。
 その後明治の初年に至るまで堂宇はあったが、相当腐朽していたが修理をしなかったので、遂に堂を取り壊し取り除いて堂跡は畠として譲渡し、薬師如来の仏像は、一時雲源寺に預かることになった。
 薬師如来像は雲源寺の観音堂に安置していた。像の胎内に左の銘があった。
 仏工京都水谷方昭 奉再興 薬師瑠璃光如来 当寛延元戊辰九月 梅雲山雲源寺 白淋臼叟梵圭 とあり、寛延元年(1748)この頃薬師如来は新調せられた様である。
 薬師如来像を雲源寺の観音堂に康安されてから、畠を譲り受けた家に思わしくないことが起こったので、心配して祈祷を受けた処、薬師如来が元の座にもどりたい意向の様だと聞いて、大正の初頃梅迫地区へ戻して再興し、現在に至っている。  写真右上:薬師如来堂   写真左下:薬師如来本尊