学童集団疎開の写真について  綾部の文化財を守る会会長:村上高一氏

 
 京都市から集団疎開児童の登校

昨年九月、当会が加入している「いかるが民俗館」の役員が、京都市にある学校歴史博物館を見学しました。そこで展示品の中から、私は右下の写真を発見しました。それは京都市の元日彰国民学校の三年生から六年生までの児童が、位田町の浄泉寺に集団疎開して以久田国民学校へ登校しようとしている写真でした。

 私は帰宅後淨泉寺尾松住職(当時四年生)に経過を説明し、その写真の写しを頂いてもらうように依頼、博物館からは早速それを送って来ました。この疎開は第二次世界大戦末期に、強制疎開として浄泉寺、高台寺、瑠璃寺に分宿し、総勢百三十名の児童が以久田校に通いました。

 
 昭和59年6月疎開児童
たちの手で造られた記念碑

その始まりは昭和二十年三月末、終了は十月中旬でした。その間日彰校の先生方五名も各寺に分宿、また授業もしておられました。当時は食料をはじめ極端な耐乏生活の中で児童たちは互いに助け合い、励まし合ってのニ百日でした。位田では十月八日、村祭りの前夜に、児童はニ、三人ずつ民家を訪問、お餅とご飯を満腹するまでいただいたとのことです。

 かくして苦しかった疎開は終わりました。六十四年後の今も、平和の尊さを思う次第です。