綾部の文化財シリーズ(第十八回)
史跡『私市円山古墳』  綾部市資料館 近澤豊明 氏

 私市円山古墳が国の史跡に指定されたのは、平成6年3月31日である。同古墳が、復元整備され古墳公園として開園したのは平成5年5月2日のことだから、これは物事の順序として少し変である。普通は、既に指定され現状保存されてきた遺跡が、時機を得て、復元整備などされて公開活用される。調査発見→指定保存→整備活用というのが、一般的な流れだから、私市円山古墳のように整備活用後に史跡指定されるような例は、あまり聞いたことがない。これだけでも、私市円山古墳は充分にユニークである。

 私市円山古墳の存在が現代の世に知れたのは、昭和62年11月のことだ。舞鶴自動車道の建設に際し、そのルート上に数ある遺跡のひとつとして、綾部市私市町円山に所在する円山城館跡の調査が始められた。つまり、中世の山城跡の調査としてスタートしたのだ。ところが、すぐさま、この遺跡が山城ではなく古墳であること、しかもかなり大規模な墳丘を有し、埋葬施設も盗掘を被っておらず、一級の遺跡であることが判明する。で、この全く想定外の事態に直面して、以後関係者は大慌てとなる。私市円山古墳はその登場の仕方もちょっと風変わりであったのだ。事前にそんなことぐらい判っていなかったのか、と今さら言ってみても始まらない。

 
発掘された私市円山古墳 

古墳の保存について、道路部局と文化財部局、国・府・市がそれぞれ必死に協議する中、発掘調査も順調に進展し、その貴重な成果がほぼ出揃ったころの昭和63年8月31日、調査成果が報道機関にいっせいに発表された。この私市円山古墳発見の報は予想通りの大反響を呼び、9月11日の現地説明会には1千人を超える参加者があった。さっそく、古墳の現状保存を望む声が方々から上がる。「綾部の文化財を守る会」が真先に現状保存の要望書を提出したのを皮切りに、市内外の各種団体などから次々に要望書が提出された。

 
墳頂に集る人々 現地説明会の時 

一方、舞鶴自動車の建設工事も順調に進捗していた。保存するかどうか、その決断のタイムリミットも近づく中、ついに平成元年1月31日、古墳の現状保存決定が発表された。道路建設が凍結されたわけではない。舞鶴自動車道も予定通り供用開始することができたのだ。道路部局も文化財部局も知恵を出し合って、どちらか一方があきらめるのではなく、ともに共存共栄できる方策を採ったのである。すなわち、道路建設の方法を切土工法からトンネル工法に変更して、古墳の下を潜らせることにしたのだ。そして、さらに保存したこの古墳を公園整備して、現代の市民生活に活用することになったのだ。この古墳の調査から保存整備に至るまで、どれほど多くの人々の努力が有り、どれほどたくさんの経費が投入されたことか。一体全体、何がこれほどまでに人々を動かしたのか。私市円山古墳は、遺跡として学術的にも貴重である。地域の古代史を語る上でも重要な存在だ。

 
復元された墳丘 

だが、このような理由だけでこの古墳は保存されたわけではない。 

私市円山古墳の墳丘は、段築・葺石・埴輪列を有する本格的かつ大規模なものだ。また、墳頂の二基の埋葬施設からは刀剣・甲冑など鉄製武具をはじめ豊富な副葬品が出土している。が、このような要素は、地域を代表するような古墳には必須のもので、特に珍しいものではない。私市円山古墳について重要なことは、その存在自体、特に古墳の在る場所が大事なのだ。

 古墳の築かれた私市の丘、そこは、古代何鹿郡域の入口部に相当し、眼下に流れる由良川に臨む場所だ。由良川沿いを往来する人々にとって、私市円山古墳はまさにランドマークであり、その時代、その地域社会を象徴するモニュメントである。五世紀の半ば古墳時代の真只中にあって、地域を代表する大規模な古墳の存在意義はそこにあるのだ。このことを最も如実に表現する場所として、私市の丘の上が選ばれた。

 交通の要衝であり、往来する人々にもよく見えること、私市円山古墳はそれがあるべき場所にちゃんと築かれているのだ。これこそがこの古墳の最大の存在意義である。墳丘の仕様や、副葬品の内容などは、古墳の存在価値に恥じないように配慮されたものであって、それは第一義のものではない。

 在るべきところに在るべきものがあること、これこそが私市円山古墳の存在理由である。

 

古墳と道路―現代社会のシンボル的景観 

 時を経ること約1500年、ここに高速道路が通ることになった。交通の要衝は、何年経ってもやはり交通の要衝だ。私市円山古墳の保存決定に際して、日本道路公団(当時の呼称)の人たちは、こう言った。

「今私たちは何のために高速道路を造っているのでしょうか。それは、現代社会にあって、交通の要として、地域と地域を結び、文物を運び人々の往来を良くし、結果として地域社会の文化の発展に寄与する為のものです。ならば、すでに1500年も前にその理念で造られた古墳を壊すようなことはできません。」

 公団の人にこう言わしめたのだ。私市円山古墳は、ひょっとして、開発優先・利便性追及一辺倒だった我々現代人にいろんなことを考えさせるために姿を蘇らせたのかもしれない。

 
古墳よ永遠に! 

 このような意味において、私市円山古墳は遺跡として誇るべき存在である。国の史跡に指定されたのも当然だ。

冒頭において、史跡公園として整備活用されてから指定されるなんて変だと言ったが、私市円山古墳の場合、これで良かったのかもしれない。その発見から保存・整備に至るすべての経過を評価した結果なのだ。はじめに指定有りきではなく、道路部局・文化財部局が懸命に知恵を出し合ってなんとか古墳を保存し、道路も造ろうとした。多くの市民がそれを応援し、未来に引き継ぐべき貴重な財産とした。

 全国に古墳はたくさんある。私市円山古墳よりはるかに大規模な墳丘と豊富な副葬品を持つ古墳もたくさんある。それでランク付けされるのなら、私市円山古墳はそれほど上位ではない。

 今、古墳の存在価値を決めるのは、今を生きる我々市民である。私市円山古墳が今あるのは、市民がそうあるべきだと決めたからである。

事務局追記
 私市円山古墳公園内では例年11月3日(祭)に私市円山古墳を守る会主催により「私市古墳まつり」が盛大に開催されます。平成23年には、午前9時45分西部こども太鼓、私市こども太鼓のオープニング太鼓を皮切りに舞台発表も盛大に開催されました。

子供太鼓に引き続き中丹地域で活躍のフラメンコグループ・リオ・デ・ユラ、素晴らしい府立工業高校のMnabou Jazz Band,子供に人気の吉美レンジャーショー、綾部市資料館担当の古墳大使がやってくる、鼓響SAGA太鼓クラブ、若千会・弥生会の舞踊、初めて本場安来節が披露され大喝采。地元自治会による屋台村、模擬店、野点お茶席ではもみじ饅頭が美味、綿菓子、ぜんざい、たこ焼き、焼き鳥、焼き餅、巻き寿司、美味なうどん各種、回転焼き、マコモ筍、新野菜類などが一杯に販売されていました。市民のみならず他地方からも多くの参加者がありました。