第38号 平成6年4月15日
日前(ひのくま)神社と湯立神楽    故 林 貞美 氏
 目前神社は、聖大権現とも高山大権現とも言い、一般には釜輪権現さんと言って信仰篤く、丹波丹後若狭の各地からもお参りのあった、綾部市釜輪町古峠の山上に鎮座するお宮さんである。
 祭神は、石凝姥命にして、天元三年(980年)五月三日に、大和国吉田村の神社から分神勧請した神様であると、吉田社家の報告文書ありと言う。現在吉田村は奈良県の地図には見当らぬが、大和国橿原神宮の近くであろうと思われる。当神社の引幕の一つに、大和の売薬業社「三光丸」寄進の一張りあるのもうなづける所である。
 山家藩は、代々江戸詰めで参勤交代はなかったが、殿様の代替りの時は、お国入りが許され、領地に帰えり在国の家臣に謁見が許される仕来たりとなっていた。ある藩主が世襲された時の事、お国入りで、愈々山家の領地に入られ、和知川河畔の立岩の上あたりまで差しかかられると、川向いの谷川の奥の山上より、御光輝やき、如何にも神々しく不思議に思われ、館にお着きになってより、諸事済まされ、一度彼のお山を訪ねて見ようと仰せられ、御参拝になったのが、この権現さんだった。以来地元民では一層精を出してお祀りしたとの言い伝えもある。(林健之助氏談)
 山上には大きな寵堂が屋根一杯に踏え、前庭は尾根をなす権現岩石灰岩)の壁で区切られた稍々広い庭である。この尾根を包む様にして、狭い参道があり、一番奥に本殿があり廻り道式になっている。
 参道の入口に桂の古木あり、その洞に溜った御水を御神水と言って眼病に効ありといって戴いて持ち帰る人も多い。又、本殿の庭に敷き詰められた小石は鼠除けの石として戴いて帰り、養蚕の盛んだった頃は蚕室にお杞りし共に霊験あらたかなものとして流行した
 地元釜輪町では、六組(奥・矢所・岩塚・上地・下地・溝黒)に分け組員の多い組の次は少い組という順で、年番といって当番を引き継ぎ、年番組は毎月お参りし、清掃等維持管理に当る。毎年四月十六日が大祭日で、この日は年番の組長が中心となり、宮司、巫女を招き神事を終り、直会の席上次の年番を指名し、交代するしきたりとなっている。
 
  湯立神楽
 前庭の中程に、四隅に笹竹を建て、〆縄を張り紙垂を飾り、真中に火袋を据え、お釜をかけて湯を沸す湯立ったら、土器の洗米と神酒徳利の御酒を注ぎ巫女がその湯に熊笹の束ねたのを浸しそれを身体に振りかけ、鈴を振り乍ら神楽舞いして祈る。ところが綾部の井倉より招いていた巫女さんが亡くなったため中断していたが、昭和56年4月16日日前神社創設千年の記念大祭より復活し、宮司による湯立神楽となった。宮司が笹の束ねたのに、柄杓で湯をかけお祓いの様にして神前に祈る様になった。参拝者はその笹を頒けてもらって家に杞る。(木下正己談)