会報第33号 平成3年12月10日 綾部の文化財を守る会のHPへ
(私のメモ帳)
彫物師柏原の中井氏のこと 故 山下 潔己 氏
幕府京都大工・大鋸頭領・中井氏の系図 四方續夫事務局長追記:2005.08.02
| 八津合八幡官本殿 |
前号32号で報告の通り、八津合八幡官の本殿が、京都府指定文化財として指定された。早速に八幡宮に出向いて本殿を見せてもらった。
拝所や本殿は江戸時代後期文化十二年(1815)に建立されたものであるが、この本殿のいたるところにバク、象、獅子、ハト、龍、力士などさまざまなものが彫り込まれてその彫刻の多様さに圧倒される。
その彫刻を担当したのは、氷上郡柏原住の中井青龍軒正忠であることが、本殿側面の脇障子の銘によって知ることができる。
この柏原の彫刻師中井氏は、三丹地方では名の通った彫刻師であったらしく、三丹の各地に多くの作品を残している。
中井氏について氷上郡誌、柏原町誌などを調べてみたが、中井氏についての記述は見当らなかった。
そこで、この中井氏が名をとどめている建造物を種々の文献によって調べてみると、(表)に示すように市内でも十指に余る社寺等に彫刻が残されていることがわかった。
それらの作品は大部分が龍の彫刻で、主に向拝の桁隠に彫られているものであるが、中には福知山市観音寺の本堂のように、本堂内陣と外陣の境の欄間であったり、綾部市鍛冶屋町一宮神社の屋台の破風飾りであったり、八津合八幡宮の多様な彫物なども残されている。
龍は古来から神仏の化身として崇められ、龍の持つ玉(如意宝珠)は厄を払い民を救い、すべての望みをかなえられると信じられ好んで彫刻されたので はないかと思われる。
表は中井氏の刻名を有する社寺等の建築年代、建造物、彫刻場所を年代順にまとめたものであるが、表でみる限り中井氏が活躍するのは寛政初年から天保年間にかけてのほぼ六十数年間である。
中井氏の初見は観音寺本堂(福知山市)でその建立年代が寛政七年(1794)で、その彫刻には「彫物師 柏原住 中井権次橘正貞彫刻」とある。
以後、夜久野町天満神社本殿(江戸時代末期、1860年頃)の彫刻まで十社寺にその名を留めており、調査を進めれば他にも多くの作品が残されていることが期待できる。
こうした調査の結果が判れば、建立年代の不明な社寺であっても中井氏の作品が残されていれば、その系譜を照合することによって建立年代がほぼ確定できることになる。
ともあれ、八津合八幡宮に残された中井氏の彫刻は他に見られないバラエティに富んだものであり、彫刻師中井が最盛期を迎えて存分に腕を振った作品であったのではないかと思うのである。
尚、中井氏と協力して彫刻に当った久須氏の名も所々に見えるが両者のつながりについては明らかでない。
表以外に中井氏、久須氏の彫刻銘のある建造物を知っておられる方は筆者までお知らせいただければ幸甚である。
| 本殿左面 | 本殿正面 | 本殿右面 |
亀 象 獅子頭 象二頭 角柱 獅子・象? 角柱 花 竜王? 左の袖板 |
鳳凰? が下がる 彫り物は二段 二段 龍 唐獅子? 龍 三匹の唐獅子? 力士 中正面 芯柱を支える格好 鹿?・雷鳥? 力士の下 雷鳥? 松の彫り物がある 亀 本殿内部の左面 海蛇? 亀の斜め上 内側左 |
右面の構造 鶴 鶴 象 獏? 何か泳ぐ獣 象?・獅子 角柱 花 上り龍? 右の袖板 |
| 普門院本堂 | 光明寺本堂 | 宝住寺 |
| No. | 建造物 | 建立年代 | 所 在 | 刻銘場所 | 刻 銘 | ||
| 1 | 観音寺本堂 | 寛政7年(1795)頃 | 福・観音寺 | 本堂欄間 | 中井権次正貞 | ||
| 2 | 大原神社本殿 | 寛政8年(1796)伝 | 三・大原 | ||||
| 天保3年(1832) | 正面唐皮風下 | 中井丈五郎正忠 | 子 中井権次正貞 | ||||
| 天保8年(1837) | 拝殿側面頭貫 | 中井丈五郎正忠 | 久須善兵衛政精 | ||||
| 3 | 稲粒神社本殿 | 寛政11年(1799) | 福・川北 | 右脇障子 | 中井丈五郎正忠 | 久須善兵衛政精 | 久須宮義 |
| 4 | 金剛院本堂 | 寛政12年(1800) | 舞・鹿原 | 向拝 | 中井権次正貞 | ||
| 5 | 多祢寺本堂 | 寛政末年 | 舞・多弥寺 | 向拝 | 中井権次正貞 | ||
| 6 | 八幡宮本堂 | 文化12年(1815) | 綾・八津合 | 左脇障子 | 中井青龍軒政忠 | ||
| 7 | 宝住寺観音堂 | 文政年間(1818〜) | 綾・味方 | 正面欄間 | 中井権次正貞 | ||
| 8 | 普門院本堂 | 天保3年(1832) | 綾・鍛治星 | 向拝 | 中井正用 | 久須正美 | |
| 9 | 浄仙寺本堂 | 天保3年(1832) | 大・河守 | 向拝 | 中井権次橘正貞 | ||
| 10 | 光明寺本堂 | 天保7年(1836) | 綾・睦寄 | 向拝 | 中井権次橘正貞 | 中井清次良橘正用 | |
| 11 | 一宮神社屋台 | 天保13年(1842) | 鍛治屋 | 屋台破風飾 | 中井清次良 | 久須真助 | |
| 12 | 天満神社本堂 | 江戸末期 | 夜・直見 | 向拝 | 中井清次良橘正用 | ||
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幕府京都大工・大鋸頭領・中井氏の系図: 四方續夫事務局長 追記 2005.08.02
故・山下潔己氏の記事の件ですが、山川出版社発行「新全国歴史散歩シリーズ第26巻の京都府の歴史散歩50頁」によると次のように出ています。{高倉通松原下ルに「長香寺(浄土宗)」がある。慶長年間(1596〜1615)に徳川家康の側室於古知也(おこちや)(法号長香院)の本願により、信誉称阿(しんよしょうあ)を開山として創建された。建立は京都所司代板倉勝重、大工頭中井家初代正清、金座の後藤庄三郎らが参画した。〜略〜中井家は江戸時代を通じ、畿内60ヶ国の大工・大鋸職(のこぎりしょく)を支配した幕府御大工頭の家柄で、長香寺は中井家の菩提寺で代々の墓がある。}と記されています。小生は問い合わせては居ませんが、此の中井家の承認がないと神社・寺等は建設できないので、これは間違いないと思います。必要でしたら寺へ直接問い合わされると良いでしょう。 |
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