島萬神社(しままじんじゃ)  綾部の文化財シリ−ズ 第6回     綾部の文化財HPへ

平成十七年十月九日の例大祭奉仕者

1.所 在 地 京都府綾部市中筋町岩ヶ下十三番地
2.御 祭 神 島萬神社にお祭りしてある神様は「すさのおのみこと」です。漢字で書くときは 素盞嗚命・素戔嗚尊・須佐之男命・速須佐之男命・建速須佐之男命などいろいろに書きます。「古事記」という本によりますとー伊邪那岐命が阿波岐原で禊(みそぎ)をされたときに鼻から生まれた神様。天照大御神の弟さん。荒々しい神さまで、高天原で姉さんが天岩戸に隠れる原因を作り、地上に追放されました。
 出雲の国で八岐大蛇を退治し、櫛名田姫命と結婚しましたが、大国主命はその子孫です。天照大御神・月読命と共に「三貴子」(三柱の立派な気高い尊い神の意味)と呼ばれ崇められている神さまです。

3.境 内 社
八幡神社
稲荷神社
市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ){市寸嶋比売命)(いちきしまひめのみこと)=狭依毘売命(さよりひめのみこと)―須佐之男命の子?}
招魂社
4.造営物等
*神殿 *神饌所 *中門 *透屏 *神蔵 *拝殿 *絵馬堂 *手水舎 *社務所 *雑品庫 *一の鳥居 *二の鳥居

5.沿革(由緒)
(一)境内の手水舎のそばに、平成六年三月、綾部市教育委員会が立てた説明板には次のように書かれています。
 島万神社の太刀振(たちふり)・太鼓踊(たいこおどり)
伝に、天平八年疱瘡が流行し、翌年(737)疫病平癒祈願(えきびょうへいゆきがん)のために本社を勧請(かんじょう)したとしている。現在も安産・病気平癒の神として崇敬されている。祭礼は十月十日に行われ、氏子中から太刀振と太鼓踊が奉納される。これらは中世末期に流行した風流踊を伝えるものであって、昭和六十年京都府の無形民俗文化財に登録されている。(そして、太刀振の写真一葉が添えられている。)
(二)「改築御造営記念誌」(昭和三年四月一日発行)に次のように書かれています。
 当社は、今を去ること一千二百年寧楽時代以前、即ち飛鳥時代既に鎮座ましませしこと明らかなり、・・(略)・・明治に至り六年郷社に列し、十年式内社の決定書を与えられ、四十年三月指定神社に編入せられ、今に及ぶ。・・(略)・・明治六年郷社に列せられ、今や進んで府社にも昇格せられんとす。然るに元文元年(1736)改築より約二百年、社殿の頽廃腐朽甚だしく、郷社の設備すら闕くる所あり。及ち改築の急目睫に迫れり。

6.年間行事
島萬神社で行われている年間祭祀(さいし)について簡単に説明します。
(一)歳旦祭(一月一日):一月一日(元日)の早朝、新しい年を祝い、今年も国民が幸せに暮らせますように、皇室がお栄えになりますように、世界が平和でありますようにと祈る祭祀。
(二)祈年祭・厄除祭:(二月中旬の日曜日)今年の五穀が良く実りますようと祈る祭祀が「祈年祭」。「春祭り」「としごいのまつり」ともいいます。合わせて国家、国民の繁栄・幸福を祈ることはいうまでもありません。「厄除祭」は厄年の方(大厄―男42歳、女33歳とその前後の年及び男―25歳、61歳、女−18歳、61歳)を対象に、今年の厄をのがれさせていただいて、無病息災、家内安全で幸多き年となることを祈願します。
(三)新入学児童・生徒安全祈願祭:その年の四月から、小学校・中学校に入学する人たちの健康と学力の向上、交通安全を祈願します。
(四)大祓祭(六月三十日、十二月三十日):「おおはらえ」といいます。自分の罪やけがれ、世の中の罪やけがれを祓い去り、清く明るい心に立ち返って、正しく素直な態度でこれからの毎日をしっかり生きてゆこうと決意を固めるための祭祀。
(五)夏越祭(八月一日):「なごしさい」といいます。「なごす」は「和す」で、やわらげる、おだやかにするの意味です。夏は疫病や害虫による被害、風水害などの多い季節ですが、これを悪霊や邪神の活動によるものと考え、この悪霊・邪神の心を鎮め和らげて、病気や災害から免れるために行う祭祀。
(六)例大祭(十月第二日曜日):例祭ともいいます。ご祭神に縁故のある日とか、神社に因縁のある日とかを選んで行われる氏神様のお祭りで、その神社にとって一番重要な祭りです。氏神様に心から感謝し、芸能や作品などを捧げて御心をなごめ、氏子の幸せを祈ります。
(七)勤労感謝祭・戦没者慰霊祭(十一月二十三日):二月の祈年祭で今年の五穀豊穣を祈りましたが、神の御恵みによって、元気に働けた上に収穫も得ることができたので、新穀を神にお供えして、その広大な神恩に感謝するお祭りが 勤労感謝祭です。又、今までの戦争の中で、国のため世の中のために、尊い命を投げ出して尽くされた方々の御霊安かれと、心からの感謝を込めてお祈りするのが 戦没者慰霊祭です。あわせて、国家、国民の幸せや世界の平和を祈念します。
 このほか、社頭での各種祈?(厄除け、入学安全、宮参りその他)があります。

7.特に例大祭について

練り込み

(一)練り込み:祭礼の当日は、氏子が、それぞれの役の服装を整えて「一の鳥居」前に集まり、9時から、約三百メートルの参道を、大太鼓の音に合わせて掛け声をかけながら、約20分かけて練り込み、拝殿の中で、左側は太鼓踊、右側は太刀振と分かれて奉納します。
 練り込みの行列順序―警固(2名)獅子(2)錦旗(1)御旗(各組より)金幣(1)御幣(各組より)剣鉾(1)傘鉾(4)神職、大傘(1)氏子総代(4)自治会長(2)保存会長、来賓、大太鼓(3)囃子方、露払(2)妻隠(2)小太刀(2)野太刀(2)小長刀(2)大長刀(2)音頭、真発意(1)親発意(1)子発意(2)警固(2)
(二)「太鼓踊」と「太刀振」(島萬神社の民俗芸能)

1 いつごろから奉納されているか
 千二百年以上の歴史を持つとされる島萬神社は,当時大流行していた疫病(疱瘡=天然痘)平癒祈願のため、天平九年(737)に本社が再建されたと伝えられ、「太鼓踊」「太刀振」の奉納は、約四百年前(中世末期)から行われてきたといわれています。例大祭当日奉納され、所要時間は、二つ同時に始めて同時に終わるよう調整されて、約一時間。京都府登録、綾部市指定無形文化財第一号(昭和41年)として指定されています。

2 どういう内容のものか

正面左側の太鼓踊

(1) 太鼓踊
真発意(しんふち)(大人一人)を中心にして、親発意(おやふち)(子供一人)・子発意(こふち)(子供二人)合わせて四人で、およそ畳一枚の範囲を動き踊る。それを音頭(男女数名)が盛りたてる。真発意は、着物に紺がすりのタッツケ袴、白たすきを掛け、赤い腰紐を締め、結び端を長く垂らす。頭には陣笠をかぶり、右手に軍配、左手に芭蕉とよぶ二メートルほどの竹に三本の芭蕉の葉の形をした羽二重の旗をさしたものを持つ。親発意・子発意は、紺がすりの着物にタッツケ袴、手甲をつけ、たすき掛けで、親発意は左わきに太鼓を抱えて右手にバチを持ち、子発意は腰に太鼓をつけて両手にバチを持つ。四人とも白足袋をはき、二人ずつ向かいあって踊る。子発意の打つテンテコテンの音調が特徴的なので、太鼓踊を「テンテコテン」とも呼んでいる。音頭は十三番ありますが、現在は六番までを奉納しています。

(2)太刀振

正面右側太刀振・小長刀

装束は「太鼓踊」の「親発意・子発意」と同じで、動作をするとき、祭神須佐之男命が大蛇退治をした故事にちなみ、オンヤーとかけ声を掛けるところから、「オンヤー」とも呼ばれる。振り物は六種類あり、子供から大人まで二人ずつで次の順序で奉納する。なお、太刀はすべて真剣で刃がつけてあるので、危険のないように注意しています。
@露払い:小学校三、四年くらいの男子が二人、赤・青・白の色紙を巻いた長さ一・五メートルほどの棒(サンヤレという)を振って打ち合う。
A妻隠し:約三十センチメートルの刀を、小学校四、五年の男子二人で振り合う。
B小太刀:頭に猖々の毛を飾り、小学校六年生か中学生が約四十三センチメートルの小太刀を振る。
C野太刀:Bと同じ装束をつけた青年二人で約四十九センチメートルの太刀を振る。
D小長刀:大人二人で、約三十五センチメートルの長刀を振る。振りながら長刀の石突きにつけてある色紙を互いに切り落とす。
E大長刀:Dと同じように、大人二人で、約四十五センチメートルの長刀を振る。
(注)丹後半島でもこのような太刀振の行事があるが、真剣を使うのは当神社のみであると言われています。又、一人のみの場合は大太刀型、二人で振るのが組太刀型と言われています。

 奉納芸能のねらい
(1)太鼓踊(テンテコテン):主に男女の恋愛感情を表現し、地域や子孫繁栄の願いが込められているとされています。
(2)太刀振(オンヤー):太刀で疫病を振り払い、厄除けや雨乞いの意味が込められているとされています。

(三)「太鼓踊」の音頭詞(一〜六番のうちの六番のみ)
六番 忍びおどり
おれを忍ばば(注1)上野の道にお待ちやれ
もしかも誰ぞ(注2)と人、問はば(注3)
うぐいすとると答えさしょ
・・・とろとろと けさの朝つゆ 一度は落ち合うて寄るものに

おれを忍ばば茶園の中にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
新茶をとると答えさしょ
・・・とろとろと けさの朝つゆ 一度は落ち合うて寄るものに

おれを忍ばば小藪の中にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
矢の竹切ると答えさしょ (以下同じ)

おれを忍ばば細谷川にお待ちやれ
もしかもたぞと人問はば
洗濯すると答えさしょ (以下同じ)

忍びおどりはこれまでそろ(注4)
おどりの姫はみなつぼみ 皆つぼみ

(注1)ひそかに恋しく思うのなら(注2)もしもしあなたはどなたですか(注3)たずねたら(注4)「そうろう」で「です」の意

餅まき
(四)太刀振(振る順序)
 露払い:礼太刀、かさのした、こしぐるま、やりのて、ほらがえしの五くさり
 妻隠し:礼太刀、このは返し、きまた、かすみ、ふえがくし、ほらがえしの六くさり
 小太刀: 礼太刀、つば止め、とぬけ、よけみち、このはがえし、ほらがえしの六くさり
 野太刀: 礼太刀、柴いなぎ、かすみ、しころおとし、たますだれ、けしやながし、ほらがえしの六くさり
 小長刀: 礼太刀、ごぼう、やばらい、まえおとし、こておとし、とぬけ、ほらがえしの七くさり
 大長刀: 礼太刀、ひざふり、やりのて、きりかつぎ、まえびろ、こておとし、ほらがえしの七くさり

参考資料
改築 御造営記念誌 郷社・式内 島萬神社 昭和三年発行
西八田村誌 編纂委員会 昭和三十八年発行
綾部市史(上巻) 昭和五十一年発行
綾部の文化財(図録) 綾部市 昭和六十三年発行
神道小事典 遠藤干編 平成元年発行

作成資料(例)ー島萬神社―
一.鳥居とは
「通り入り」がつづまったという説もありますが、形が鶏の宿り木に似ているところから「鳥居」と言ったのでしょう。古くは、ミカドまたはウエフカズノミカドとも言いましたように、鳥居は「屋根をふかない門」ですから、昔は住宅にも用いられたかもしれませんが、後には神社や山陵だけに使われるようになり、今日では、神社の最も著名な標識となっています。鳥居の数は決まっておらず、普通外側から一の鳥居、二の鳥居と呼んでいます。

二.手水の使い方
自分で手を洗う場合、右手で柄杓を取り、まず左手の手のひらを洗う。次に柄杓を左手で持ち、右手の手のひらを洗う。次に柄杓を右手に持ち替え、左手に水を受けて口をすすぎ、さらにその左手に水をかけて洗う。(柄杓を直接口につけてはいけない。)

三.神前ではなぜ鈴を鳴らすのか
鈴を神前に掛けることは、随分古くからの習慣と思われますが、いつ頃から始まったものか分かりません。鈴の緒を振ると大変清らかないい音がでますので、その音で神様をお慰めするわけです。そして、同時に拝む人もすがすがしい気持ちになることができるのです。

四、賽銭を供えるわけ
賽銭は、もとは散銭といい、古くはその代りにお米を用いていました。散米です。古代人の散米は、悪魔を祓い退けるため、神饌(神に供える食べ物)として神に捧げるため、の二つの場合に行われているそうで、お米が、貨幣の流通と共に金銭に代えられて、散銭となり、神に参るときに供える銭の意味から賽銭と書くようになりました。従って、今日でも、自分の心の悪魔を祓うこと、神に捧げること、の二つの意味があると思われます。米や銭などの貴重品を、何の代償もなしに散ずることは、私欲があってはできないことですから、人は賽銭を投げることによって、自分の心の霧を祓うと同時に、心を静めて神に祈るわけです。

五.神前にはなぜ狛犬がいるか
獅子・狛犬と言われるように、獅子と狛犬が向かい合い一対になっているのが普通です。古くは「獅子・狛犬」と区別されていたようですが、後に両者を合わせて「狛犬」というようになりました。
狛犬の形は想像してつくられたものと思われます。石・木・銅・鉄製などがありますが、型は決まっていません。両方とも口を開いているもの、片方だけ開いているもの(向かって右に置くのが普通)、両方とも閉じているもの、両方に角のあるもの、一方だけに角のあるもの(向かって左に置くのが普通)などいろいろあります。魔除けと装飾の意味を持っていますが、なければいけないというものではないので、伊勢神宮には置かれていません。

六.神拝のし方
神拝の作法は二拝二拍手一拝です。
1 最敬礼を二度する。(二拝。背中が平らになるまで上体を九十度曲げる。)
2 拍手を二回打つ。(二拍手。胸の前で両手を合わせ、右手を少し引き、肩幅ぐらいを限度に左右に手を開いて二度打ち合わせ、終わって右手を左手に揃え、元のように両手を垂れる。)
3 最敬礼を一度する。(一拝。1と同じ)
*なお、1の二拝の前と3の一拝の後で、軽く頭を下げるのが正式の作法です。

七.神前でなぜ拍手を打つのか
カシワの葉を食器として使っていたふるい時代には、神様にお供えするものをカシワの葉に盛り、手を打っておすすめしたという考え方や、手を打って神を拝むことを古くは「拍手」と書いたが、後に「拍」と「柏」が混乱したという考え方があります。又、拍手をする時の手の形がカシワの葉に似ているからという考え方もあります。手をたたく場合は現在もいろいろありますが、神拝の時の拍手は、神徳をたたえつつ清らかな・爽やかな雰囲気を手を打つことで作り出すその中で、神に祈願するそのことが形として定着していったということでしょう。パンパンと気持ちよく打つと自分の心もすがすがしくなってきます。

(参考資料}
神社神道の常識 河田晴夫 清明舎発行
神道小事典 遠藤干編 神道館発行
島萬神社 宮 司:渋谷計二 代表総代:仲山一郎