「綾部市文化協会後援」 第十七回秋の文化財・史跡学習会

「臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺と西国第十七番札所・六波羅密寺の文化財を訪ねて」
11月17日()午前8時綾部駅北口出発      事務局 四方續夫

見学箇所等についてのご案内

当会の秋の文化財・史蹟学習会では臨済宗七禅刹・由緒寺院を見学して参りました。いよいよ終わりに近くなりここで振り返ってみたいと考え、復習の意味で左記に再度掲載いたします。

この時代の禅宗の背景と足利尊氏

 源頼朝が建久三年(1192)に鎌倉幕府を開きました。当時、天皇・上皇・公家達朝廷は奈良・南都仏教、北嶺(比叡山天台・真言宗)との結びつきが堅く、鎌倉幕府としては政治上強力なバックとなる宗教を必要としていました。建久一年(1191)栄西が宋より帰国し、禅宗(臨済宗)を開きました。又、当時武家側の北条時頼、時宗は鎌倉に有名な禅僧を宋から迎えました。武家側から禅僧に手を差しのべ、さらに宋の有名な禅僧が元帝国からのがれ日本に拒否されないように宋銭を持ってやって来ました。それは当時貨幣経済に向かいつつあり宋銭を輸入している日本にとっては歓迎する所でありました。

 夢窓疎石は、日本人で初めての禅僧指導者で、蘭渓道隆(建長寺住職・宋人)、や無学祖元(円覚寺住職・宋人)の亡きあと、禅教団を味方につける唯一の重要人物であった。足利尊氏は幕府の宿老二階堂氏の紹介で、この夢想疎石禅師と会い宗教上、政治上にも意気投合したのであります。

 建武五年(1338)足利尊氏は北朝より征夷大将軍に任ぜられた。後醍醐天皇等いわゆる「元弘の乱」から後の死者の霊を弔うため夢想疎石の提案で発願し、全国六十六ヶ国二島に一寺一塔の設置をすすめた。光源上皇の院宣をあおぎ寺は安国寺、塔は利生塔と称した。比叡山の大反対に遭いながらも「全国安国寺」の筆頭として「天竜寺」も造営された。

 費用は一般に迷惑掛けないよういわゆる「天竜寺船」を認め朱印状を出し、元・明との交易により費用の一部を捻出しました。

臨済宗七禅刹と主な由緒寺院・塔頭

建仁寺(建仁寺派大本山・開山・栄西)

東福寺(東福寺派大本山・開山・弁円)  綾部安国寺はその有力な塔頭

南禅寺(南禅寺派大本山・無関普門)

大徳寺(大徳寺派大本山・宗峰妙超)

妙心寺(妙心寺派大本山・関山慧玄)

天竜寺(天竜寺派大本山・夢窓疎石)  *由緒寺院・等持院(開山・夢窓疎石)

相国寺(相国寺派大本山・夢窓疎石)

 山外塔頭

 *慈照寺(銀閣寺)(開山・夢窓疎石)

 *鹿苑寺(金閣寺)(開山・夢窓疎石)

 *由緒寺院・常照皇寺(開基・光厳上皇)

その他

鹿王院(臨済宗単立寺院・開山春屋妙葩)

万福寺(黄檗宗大本山・開山・隠元)

五山について

 五山は五つの寺、十刹は十ヶ寺の数をさすのが、もとの制度であります。

 三代将軍足利義満が開基となる「相国寺」を明徳三年(1392)に等持院の旧法堂を移築したりして、義満三代事業の一つとして創建した。幕府は早速五山の位次を改訂した。至徳三年(1386)の五山は、上手く京都と鎌倉と分けた。
(京都)      (鎌倉)

五山之上 南禅寺  

五山第一 天竜寺   建長寺

  第二 相国寺   円覚寺

  第三 建仁寺   寿福寺

  第四 東福寺   浄智寺

  第五 万寿寺   浄妙寺

(万寿寺は一般公開していないが東福寺前の九条通の反対側にあります。)

京都五山の第三の古刹  臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺

(到着十時二十分頃、仏殿、方丈庭園等見学後、出発十二時・時間厳守)

 建仁寺へは川端通り団栗橋南で京都散策愛好会の専門ガイドさん2名が待っておられます。そここから徒歩5分、京都交通のバスガイドさんとペアーで号車毎に案内して頂きます。

 
 建仁寺のシンボル法堂(仏殿)

先ずはこの仏殿をバックにして号車毎に記念写真を撮ります。その後、号車毎に見学します。

建仁寺は、わが国に臨済宗を伝えた明庵(めいあん)栄西(えいさい)(1141〜1215)の創建した京都最初の禅寺である。栄西禅師は永治元年(1141)に備中(岡山県)吉備津宮の社家、賀屋(かや)()の子として生まれた。

 十四歳で落髪、比叡山で天台宗を修め、その後二度の入宋を果たし、日本に禅を伝えました。また、中国から、茶種を持ち帰って日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した「茶祖」として知られています。開山堂近くに「栄西の茶碑」があります。

栄西は47歳の時再度入宋、()(あん)()(じょう)に臨済禅を学び、四年後帰国して、北九州に禅を広めた。のち、入洛したが比叡山の圧迫を受けて九州に下り、「興禅護国論」や「日本仏法中興願文」を著し、栄西は禅をもって天台の鎮護国家論をもりたてようとした。栄西は力説している。最澄(伝教大師)は(だい)(みつ)(ぜん)(かい)四種相(ししゅそう)(じょう)をした。つまり中国で天台宗・密教・禅宗・戒律を学んで帰国した人で、開創した叡山には禅も伝えられている。自分はその禅を興し、日本仏教中興をはかるのだと。

ついで幕府にまねかれ,北条政子建立の寿福寺(鎌倉五山の第三位)の長老となり、建仁二年(1202)将軍頼家の援助で五条以北、鴨川以東400メートルの地を寄進され,三年後、念願の仏寺を建立した。これが建仁寺で、土御門(つちみかど)天皇は勅願寺として時の年号をとって建仁寺の号を与えた。延暦寺との対立を避け真言・天台・禅の兼学の道場とした。建永元年(1206)東大寺の大勧進(かんじん)となり、法勝寺の再建にも尽くした。なお三代将軍実朝に「喫茶養生記」を献上し、養生と保健の効用を説いている。

 栄西没後、寺勢は衰えたが、正嘉二年(1258)に(えん)()(べん)(えん)(東福寺開祖)が十世として入り、ついで蘭渓(らんけい)道隆(どうりゅう)十一世となり、文永二年(1265)に禅宗専一となり、至徳三年(1386)の五山の制で第三位となった。のち、しばしば罹災したが、秀吉の時東福寺退耕庵の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が復興し、秀吉、次いで徳川幕府の保護を受けた。尚、方丈の北に安国寺恵瓊の墓所がある。又、この建仁寺は多くの禅僧が漢詩文の勉強に、創作に集まった寺で「建仁寺の学問(ずら)」という。

     
恵瓊(えけい)が慶長四年(1599)に安芸の安国寺から移建した優美な銅板葺の方丈で、白砂に緑苔と巨石を配した「大雄(だいおう)(えん)」と称される枯山水の庭は、大らかな味わいがあります。

潮音庭(ちょうおんてい) 三連の庭

建仁寺本坊中庭にある潮音庭は、中央に三尊石その東には座禅石、廻りに紅葉を配した枯淡な四方正面の禅庭です

〇△□乃庭:単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を地□水〇火△で象徴したものと言われる 
     
 風神雷神図屏風「国宝」
本図には落款も印章もありませんが、俵屋宗達の真作として、しかも晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風全面に金箔を押し、右双に風神、左双に雷神を描いています(通常は高精密デジタル複製を展示)
 栄西禅師が創建の京都恵美須神社  

恵美須神社 *建仁寺見学中にこの恵美須神社も見学します。

(御祭神)

()代言代(えことしろ)(ぬしの)大神(おおかみ)

大国主(おおくにぬしの)大神(おおかみ)

少彦(すくなひこ)名神(なのかみ)

この恵美須神社は栄西禅師が土御門天皇の建久二年(1191)に宋より帰途についた際、猛烈な時化に遭い船が転覆しそうになったが、恵美須神の加護により無事日本に帰国できました。禅師は建仁寺建立にあたり、その鎮守社として最初に建てられたものです。

この京都恵美須神社は、西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大えびすと称されています。今日の「商売繁盛の笹」をイメージされますが、えびす信仰の象徴と言える笹は元来この神社独自の「御札」の形態が広まったものです。又、1月の初ゑびすは8日朝8時から午後2時には湯立て神楽神事、9日宵ゑびすで午後2時宝恵かご社参、10日は10日ゑびす大祭で大変賑わいます。(京都ゑびす神社宮司様作成文章より抜粋)

建仁寺から徒歩で再び川端通り団栗橋南へ戻り12時に昼食場所の平安会館へ出発です。ガイドさんの指示に従って移動して下さい。

昼食:ホテル平安会館和食処帆船」

住所:烏丸通上長者町上ル 

電話:075−432−6181(12時20分〜1時20分時間厳守

お土産はこのホテルでお買い求め下さい。上品な京都のお菓子があります。

 
 ()(ちょ)が守る「護王神社」

又、このホテル前の烏丸通を徒歩で3分下がると和気(わけの)(きよ)麻呂(まろ)公と姉の(ひろ)(むし)を祭神として、又、藤原百川(ももかわ)(みちの)豊永(とよなが)を合祀する護王神社があります。ご参拝希望の方は各自でご参拝願います。

和気清麻呂公と姉の広虫を祭神として、又、藤原百川と路豊永を合祀する護王神社は、(もん)(がく)上人が高雄の和気氏の氏寺の神護寺を復興したとき、清麻呂を護王善神として境内に祀り、鎮守社としたのが始まりと言われる。嘉永四年(1851)に孝明天皇が清麻呂の忠節を賞して正一位護王大明神の神号を与えた。明治七年(1874)護王神社と改称、1885年に現在地に移された。その際に本殿・拝殿・祝詞舎なども移築された。拝殿まえの野猪の石像は、一般の神社に見られる狛犬とは異なり、野猪である。これは清麻呂が弓削道鏡の怒りをかって大隅に流される時、イノシシが清麻呂を守った故事による。又、姉の広虫は京中の孤児を養ったことから、子育明神と称され育児の神として信仰がある。



空也の寺、源平両氏の中心史蹟、西国第十七番札所霊場、都七福神の一・巳成金弁財天で有名な
六波羅密寺(真言宗智山派)

 
 真言宗智山派の六波羅蜜寺

(到着一時四十分〜三時に出発です。時間厳守)

 平成22年の秋、真言宗智山派総本山智積院を参拝、宝物館では国宝の長谷川等伯の障壁画を見て頂きました。

 この六波羅密寺はサブタイトルの通り、天暦五年(951)醍醐天皇第二子光勝空也上人により開創された西国第十七番の札所であります。

 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市内中を曳き廻り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜(かんき)踊躍(ゆやく)(踊り念仏と称されることもある。)しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。現在でも皇服茶として伝わり、正月三日間授与している。

現存する空也上人の祈願文によると、応和三年(963)諸方の名僧六百名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬(だいまん)燈会(とうえ)を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当の寺の起こりです。

 上人没後、高弟の中信上人によりその規模を増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。

 平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数五千二百余に及んだ。

 寿永二年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ類失を免れた。源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった。当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領七十石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。

 現在の本堂は貞治二年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和四十四年(1969)開創一千年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

 尚、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三銛、独銛模様の瓦を始め、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔八千基が出土した。

重要文化財の質、量において文字どおり平安、鎌倉期の宝庫と謂われる所以である。

「所有する木像の文化財」

十一面観音立像(平安時代、国宝、秘仏で十二年に一度の公開です。)

 薬師如来坐像(平安時代、国重文)

地蔵菩薩立像(平安時代、国重文)

多聞天立像 (平安時代、国重文)

広目天立像 (平安時代、国重文)

持国天立像 (平安時代、国重文)

増長天立像 (鎌倉時代、国重文)

地蔵菩薩座像(鎌倉時代、国重文)

吉祥天立像 (鎌倉時代、国重文)

閻魔大王像 (鎌倉時代、国重文)

弘法大師坐像(鎌倉時代、国重文)

空也上人立像(鎌倉時代、国重文)

平清盛坐像 (鎌倉時代、国重文)

運慶坐像  (鎌倉時代、国重文)

湛慶座像  (鎌倉時代、国重文)

「重要有形民俗文化財」

●泥塔   ●皇服茶碗

●版木   ●萬燈会関係用具 等二千百余点

「綾部市文化協会後援」第17回秋の文化財・史跡学習会 参加のご案内 事務局 四方續夫

栄西禅師が宋より帰国、京都最古の禅寺建仁寺を創建されました。その前にこの建仁寺を守るため神護寺として三大ゑびす神社で有名な恵美須神社を建立されました。この2ヶ所を午前中に見学。昼食後、希望者は和気清麻呂神社を各自で見学。更に空也上人、源平両氏の中心史蹟、西国第十七番札所、都七福神唯一の女神である巳成金弁財天で有名な六波羅密寺と宝物館を京都散策同好会の専門ガイドさんに案内して頂きます。

一度参観された方も、再度の見学をお勧め致します。内容は担当役員・事務局一同自信を持っておりますので会員以外の方にも参加を勧めて下ださい。皆様の便宜を図るためバス二台を巡回させますので乗車場所を必ず申し込み葉書に明示願います。

    記

、期日 平成23年11月17日(木)

2、集合場所・時間は乗車場所により違いますので、出発予定より10分ほど早くご集合願います。

、見学箇所:京都最古の栄西禅師創建の京都最古の禅寺・建仁寺、三大ゑびす神社の一つ恵美須神社、護王神社、六波羅密寺とその宝物館

、参加費 お一人9、000円(貸切バス代、昼食代、拝観料及び入館料、心付、手作り記念写真2枚の代金を含みます。)

5、募集人員 90名(京都交通貸切バス2台予定

、申し込み方法 10月28日(金)までに参加者全員の〒番号・お名前・ご住所・電話番号・バスの乗車場所を明記し、葉書にて申し込み下さい。特別緊急以外の電話申し込みはお断りします。尚、満員になり次第締め切りとさせて頂きますことご了承下さい。

、申込先

 〒番号:623―0004 綾部市多田町後路28 四方續夫 宛

、受付と出発案内は申し込み締め切り後、葉書にてお知らせします。

、尚、旅行には「この会報73号」を持参して参加願います。靴はスポーツシユーズをお薦めします。

                    行程表

@号車:上杉バス停===白道路公民館====物部バス停==新庄バス停===     07;15      07:25    07:30    07:35

===栗文化センターバス停===綾高前バス停==JR綾部駅北口(合流)====     07;40      07:45      08:00出発

A号車:市野瀬バス停=大町バス停==寺町バス停=井根口バス停==十倉バス停==

    07:00  07:05  07:10  07:15   07:25

=JR綾部駅北口(合流)==綾部大橋バス停==山家バス停==やまがた屋==

    08:00出発   08:05   08:10 8:45(休憩)9時発

(京都縦貫道)===建仁寺・恵美須神社==ホテル平安会館・護王神社======   

10:20(参拝見学)12:00 12:20 (昼食) 13:20

======六波羅密寺・宝物館=====(京都縦貫道)==やまがた屋=====

13:40参拝見学)15:00出発      16:20(休憩)16:35===やまがバス停==綾部大橋バス停===JR綾部駅北口=

   17:10    17:15    17:20頃

@号車==綾高前バス停=栗文化センター==新庄バス停==物部たきたて====

    17:30頃  17:35頃  17:45頃 17:50頃

=白道路公民館==上杉バス停 

 17:55頃 18:05頃

A号車=十倉バス停=井根口バス停==寺町バス停==大町バス停==市野瀬バス停

   17:45頃 17:55頃 18:05頃 18:10頃  18:15頃