「綾部市文化協会後援」第十六回秋の文化財・史跡学習会 HP:綾部の文化財 TOPへ
「臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺と真言宗智山派総本山・智積院の国宝・文化財を訪ねて」
十一月十八日(木)午前八時綾部駅北口出発 事務局 四方續夫
見学箇所等についてのご案内
京都五山の最高位の名刹
臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺
(到着十時二十分頃、南禅寺方丈庭園、南禅院等見学後後、出発十二時時間厳守)
到着時、専門のスカイガイドさん二名が待っておられます。京都交通のバスガイドさんとペアーで号車毎に案内して頂きます。
(左、南禅寺の三門(国重文)

先ずはこの三門をバックにして号車毎に記念写真を撮ります。その後、号車毎に見学します。
京都市左京区南禅寺福知町にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺は京都五山の上(最高位)であります。正式には山号は瑞龍山「太平興国南禅禅寺」といいます。鎌倉時代後期、名僧円爾弁円に禅の教えを乞い、のち出家した亀山法皇は正応四年(一二九一)、離宮禅林寺殿を改め禅院(禅林禅寺)とし、円爾弁円の弟子大明国師無関普門を迎えて開山とした。
大明国師は同年末に遷化(死去)したので、亀山法皇は、翌年門下の南院国師規庵祖円を第二世住持として迎えた。
南院国師は、十五年を費やして七堂伽藍を整備、創建開山とよばれている。この間,正安年間(一二九九〜一三0ニ)には「太平興国南禅禅寺」と改称する。その後は法流にとらわれず逸材を住持にするという亀山法皇の勅命によって、一山一寧や夢窓疎石ほか名だたる名僧が相次いで住持として入山した。
南北朝時代には禅宗寺院を統制、格付けする五山の制度のなかで「五山の第一」、室町幕府三代将軍足利義満が設けた「五山十刹の制」では、天下第一の禅寺として「五山の上」におかれ、約十万坪の境内に塔頭寺院数十を擁する大寺となって繁栄した。
のち、応仁の乱など三度にわたる大火で壊滅的な打撃を受け、復興は困難を極めたが、慶長十一年(一六0六)には豊臣秀頼が後陽成天皇の勅命を受けて仏殿を建立して再興。次いで徳川家康の信任篤かった塔頭金地院住持の以心崇伝の活躍により目覚しい復興をとげた。
現在、塔頭十二、末寺四百三十ヶ寺。
国宝の方丈は狩野派華やかな襖絵(国重文)で飾られ、国重要文化財の三門(山門)は京都で楼上が公開されている唯一の三門である。又塔頭寺院に蔵される指定文化財、名園も数多い。
勅使門(桃山時代・国重文)
切妻造り、桧皮葺四脚門。慶長十六年(一六十一)から造営された御所の「日の御門」を寛永十八年(一六四一)に賜り移築したもの。虹梁上の蟇股や側面本柱上方の笈形彫刻などに、桃山時代のはつらつした特色が良く現れている。
三門(山門・江戸時代・国重文)
五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺で左右に階段を覆う山廊を備えた典型的な禅宗様の三門である。高い石垣上に西向きに建ち「天下竜門」とよばれる。寛永五年(一六二八)、津藩主藤堂高虎寄進のもの。
(今回は参加者の年令から推定し危険防止のため楼上には上りませんのでご了解下さい。)
方丈(桃山時代・国宝)
方丈は大方丈と小方丈からなり、従来女院御所の遺構とみられていたが、近衛信伊
の手紙で天正十七年(一五八九)に秀吉造営の清涼殿の遺構であることが明らかになった。大方丈の中央北に内陣、その南に御昼の間、東に鳴滝の間と麝香の間、西に鶴の間と西の間、南側前面板ばりの広縁、東側に柳の間、西側に狭屋の間がある。小方丈は大方丈に接するが別の建物で伏見城の遺構説と増築説がある。方丈内陣には木造聖観音立像(平安・国重文)、各室には華やかな狩野派の金壁の室の名にちなむ障壁画(桃山・国重文)がある。方丈庭園・国名勝は小堀遠州作の「いわゆる虎の子渡し」である。 ( 左、国名勝方丈庭園)

南禅院(鎌倉時代国史跡・名勝庭園)
南禅院は亀山法皇の離宮跡で、南禅寺の発祥の地である。南禅寺山を背にした庭園は、亀山法皇みずから作庭したとも伝えられる地泉回遊式庭園。東北隅に滝石組み、曹源池という名の大小の池には、鶴・亀・蓬莱・神仙の四島を配する。とりわけ、新緑と紅葉の季節が美しい。
(左、南禅院の国史跡・名勝庭園)

その他、水路閣(琵琶湖疎水も見学します。駐車場の出発は十二時(時間厳守)です。駐車場側にトイレが有りますので
ご利用ください。
昼食:智積院会館=一休庵=
(十二時二十分〜一時二十分)
電話:0七五―五三一―0ニ一0
料理内容は精進料理で好評です。
お土産はここだけです。
バスはこの駐車場で智積院の見学終了まで待っております。
真言宗智山派総本山智積院
京都市東山区東大路七条下がる東瓦町にある智積院は真言宗智山派の総本山として現在全国に末寺三千余ヶ寺を擁し、その中には成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、高幡山金剛寺、大須観音宝生寺の別格本山があり壇信徒数は約三十万人にのぼります。
真言宗は弘法大師空海上人により開宗されましたが平安時代末期となると宗風は衰微してしまいます。その時、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁上人が高野山に登り真言教学を再興しました。
晩年覚鑁上人が移り住んだ紀州(和歌山県)根来寺は、最盛期の戦国時代には坊舎二千七百余、住侶六千、所領七十万石を数えるまでに勢力が拡大し、中でも智積院は真言教学を学ぶ学問所として隆盛しました。天正十三年(一五八五)、根来寺は豊臣秀吉にことごとく焼払われてしまいますが、智積院の学頭(今の学校長)玄宥僧正は、根来の再興を願いつつ多くの学僧と共に高野山、京都と難を逃れていました。元和元年(一六一五)、徳川家康は秀吉が愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺を智積院能化(住職)
に寄進、以来「五百仏根来寺智積院」と称し、学山の伝統を保ち、法燈を保ち続けています。現在の金堂は昭和五十年弘法大師ご誕生一千二百記念事業としてご本尊大日如来と共に造営されました。
国宝障壁画
桃山時代全盛期であった狩野派に対抗し、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた障壁画。画面中央に描き出された幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的な表現、それら全てが和合し生き生きと豪華絢爛に描かれた「楓図」等二十五図を見学します。
庭園(江戸時代・国名勝庭園)
庭園は北を石垣、中央を枯滝組み、南を池泉とした名園で、旧祥雲寺の庭園というが、七世運敞上人が手を加えて中国の盧山
の景をかたどって造られたといわれています。
左、智積院の国名勝庭園

出発時間は、バスへ歩いて戻り、午後三時丁度です。智積院会館でトイレを済ませ、時間厳守でお願いします。
「綾部市文化協会後援」
第十六回秋の文化財・史跡学習会
参加のご案内
事務局 四方續夫
紅葉と国宝・名勝庭園の「南禅寺」処して真言宗智山派大本山智積院の国宝・長谷川等伯一派の障壁画と名勝庭園。
一度参観された方も、再度の見学をお勧め致します。内容は担当役員・事務局一同自信を持っておりますので会員以外の方にも参加を勧めて下ださい。皆様の便宜を図るためバス二台を巡回させますので乗車場所を必ず申し込み葉書に明示願います。
記
一、期日 平成二十二年十一月十八日(木)
二、集合場所・時間は乗車場所により違
いますので、出発予定より十分ほど早
くご集合願います。
三、見学箇所:臨済宗南禅寺派大本山南
禅寺の国宝の方丈、南禅院の国名勝庭園等、真言宗智山派大本山智積院の長谷川等伯一門の国宝の障壁画と国名勝庭園。
四、参加費 お一人九、000円(貸切
バス代、昼食代、拝観料及び入館料、
心付、手作り記念写真二枚の代金を含
みます。)
五、募集人員 九十名(京都交通貸切バ
ス二台予定)
六、申し込み方法 十月三十日(土)までに参加者全員の〒番号・お名前・ご住所・電話番号・バスの乗車場所を明記し、葉書にて申し込み下さい。特別緊急以外の電話申し込みはお断りします。
七、申込先
〒番号:六二三―000四
綾部市多田町後路二八
四方續夫 宛
八、受付と出発案内は申し込み締め切り後、葉書にてお知らせします。
九、尚、旅行には「この会報七一号」を持参して参加願います。靴はスポーツシユーズをお薦めします。
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行程表 @号車:上杉バス停=白道路公民館=物部たきたて= =新庄バス停=綾高前バス停=JR綾部駅北口 A号車:市野瀬バス停=大町バス停=寺町バス=== =井根口バス停=十倉バス停=JR綾部駅北口= =綾部大橋バス停=山家バス停=やまがたや(休憩)= =(京都縦貫道)=南禅寺(三門、方丈、庭園、南禅院)= =智積院会館・一休庵(昼食)・・智積院庭園・国宝障壁画 ・・・会館出発=近畿自動車道=やまがたや===== =山家バス停=綾部大橋バス停=JR綾部駅北口== @号車:綾高前バス停=新庄バス停=物部たきたて=白道路 バス停=上杉ス停 A号車:十倉バス停=井根口バス停 =寺町バス停==大町バス停==市野瀬バス停 |