世界文化遺産登録 山城国一ノ宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
綾部の文化財を守る会 「京都の国宝を訪ねて」研修記2  東寺  下鴨神社   HP:綾部の文化財へ

昼食後バス二台で上賀茂神社に到着
一の鳥居から続く広い参道を二の鳥居まで歩く
道一杯に広がる一行
二の鳥居をくぐる
右手に楽舎(がくのや)重文
美しい立砂(たてすな)の見える細殿(重文)
立砂(たてずな)
二ノ鳥居を入ると、細殿の前に一対の立砂がある。円錐形の麗しい御神体山である神山をかたちどったもので、一種の神籬(ひもろぎ)(神様が降りられる憑代(よりしろ))である。鬼門、裏鬼門にお砂「清めのお砂」をまくのはこの立砂の信仰が起源である
土舎(つちのや)重文
橋殿(はしどの)重文:有名な葵祭、夏越(なごし)の大祓の舞台
夏越祓:六月三十日夕闇が迫る頃、茅ノ輪をくぐる人で境内は賑わう。所々に篝火が焚かれ雅楽が奏でられるなか、橋殿より大祓詞の奏上とともに、人形(ひとがた)がならの小川に投ぜられ、祈願者の一切の罪穢が祓い清められる。当神社の夏越祓は古くより有名で、次の百人一首のなかのうたは鎌倉時代の当神社の夏越祓の情景を詠ったものである。 風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ 夏のしるしなりける。 藤原家隆
楼門(重文)
綾部の文化財を守る会から研修のお願いを差し上げた、担当の権禰宜:村松晃男氏のお出迎えを受ける
記念写真の撮影に楼門(重文)まで出迎えていただいた祢宜様を真ん中に2号車の一行を撮影。楼門の前に流れる「ならの小川」にかかる玉橋(重文)があり、人が立ち入らないように制綱が前後に張られている。それでもう一つ上手の片岡橋(重文)をわたり、楼門前に整列した一行を玉橋越しに写真に納める。記念写真を撮り終えると2号車の一行は祢宜さまのご案内で楼門をくぐり本殿参拝に拝殿に上がっていった
世界文化遺産登録 山城国一ノ宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)
御祭神 厄除明神賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
御神徳 厄除・方除・電気の守り神
御由緒
 神代の昔、本殿の北北西にある秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)現在の本殿に御鎮座になった。御鎮座以来広く人々の信仰を集め、特に皇室の御崇敬は歴代にわたり、行奉啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幣御祈願があった。
 『延喜式』では名神大社に列し、のち山城国一ノ宮として尊崇せられ、明治以後終戦まで宮幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆順に位した。

社 殿
 本殿・権殿(ごんでん)東西に並び建ち、共に流れ造の典型として国宝に指定されている。文久三年(1863)の造替で、他の祝詞舎(のりとのや)、透廊(すいろう)等四十二棟の建物は、おおむね寛永五年(1628)の再建で重要文化財に指定されている。又、境内全域は平成六年(1994)十二月十七日「古都京都の文化財」の1つとしてユネスコが制定する人類共有の世界文化遺厘に登録された。(入場パンフレットより集録)
ならの小川沿いの美しい植栽
ならの小川:6月30日夏越大祓は、「百人一首」にも詠まれ、初夏にはホタルが舞い秋の紅葉が美しい川。いつもなら続いて1号車の記念撮影となるのだが、待っていても楼門前にやってこない。しびれを切らして迎えに行く。上賀茂神社の本殿・権殿参観は少人数づつしか参拝できないとはあらかじめ聞いてはいる
細殿(重文)の裏手で、権禰宜:村松晃男さまから説明を受けている1号車の一行をみつける
権禰宜・村松晃男さまを囲み熱心に話を聞く1号車の一行
権禰宜・村松晃男さまの説明を拝聴する1号車一行
ならの小川の橋の上で
岩上(がんじょう)
賀茂祭(葵祭)には、宮司この岩の上に蹲踞(そんきょ)勅使と対面し、御祭文(ごさいもん)に対して神の御意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所である。 太古、御祭神が天降りされた秀峰神山(こうやま)は、本殿の後方約2kmの処に在り、頂きには降臨石(こうりんせき)を拝し、山麓には御阿礼所(みあれしょ)を設け、厳粛な祭祀が斉行されてきた。この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、「気」の集中する場所である。(駒札から集録)
片山御子神社(片岡社・重文)?を参観
片岡橋(重文)を渡る一行
祭 祀
賀茂祭(葵祭)勅祭 五月十五日
 欽明天皇の御代(六世紀)天下風雨順ならず、庶民大いに嘆いたので勅してうらなわしめ給うたところ、賀茂大神の崇りであると判った。そこで馬に鈴をかけ走らせ祭祀を行った結果、五穀成熟して天下奉平となった。
このことにより毎年国家的な行事として祭が行われるようになった。これが賀茂祭の起源である。
 神前に葵を献じ、全部の社殿には葵を飾り、奉仕員全て葵を着けるので葵祭ともいう。平安時代は殊に盛んであって、「まつり」と言えば葵祭を指すほどであった。現今は五月十五日、皇室より勅使を御差遣になり旧儀によリ行われる。その行列は近衛使代を中心に牛車、花傘、斉王代(さいおうだい)列など総勢五百名、列の長さは八百メートルに及ぶ。
 先づ、午前京都御所を出発、下鴨神社にて祭儀を行った後、再び行粧を整えて、賀茂川の堤を北上し、午後当神社に到着。勅使の御祭文奏上、牽馬(ひきうま)、東游(あづまあそび)、走馬等の儀が約二時問にわたり、古儀のまま行われる。清らかな流れと、新緑の境内で行われるこの祭儀の有様は、さながら王朝絵巻を見るが如くである。(入場パンフレットより)
競馬会神事 五月五日
 稲沢天皇の寛力士年二〇九三年)に始まる。早朝より頓言遷御、菖蒲の根合せ等が行われる。見尻(騎手)は左右口分れ、左方は打毬、右方は柏餅の舞楽装束を善げ、馬口見って社頭口参進する。
 勧盃、日形見、月形見、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競脂する。号の様子は『徒然草』などにもよく書かれている。蓋し天下の壮観である。京都市登録無形民俗文化財。これ口先仁志、五月コ已には、五日の競馬に出場する馬足の、優劣を定める足汰式がある
烏相撲 九月九日
 菊花を献じ無病息災を祈願する重陽神事を了えて後、細殿の前庭にて童子二十人をして相撲(すま)わしめ神覧に供する。その問、刀禰が烏鳴き、烏の横飛びなどをして、頗る興趣のある行事である。烏の行事は八咫烏(やたがらす)伝説に由来し、細殿にて葵祭に奉仕された斎王代が御覧になる
権禰宜・村松晃男さまの説明
川尾社に向かって拝礼する一同。癒しの神様、精神安定、傷ついた心を癒していただける神様
やっと楼門前に1号車一行が到着、集合写真を撮るが、楼門の中には入らずに他に向かわれた。ならの小川にかかる玉橋(重文)越しに撮っていて、制止縄が両側に張られ渡れないので、またカメラ道具の後始末で何処に行かれるのか聞く余裕がなかった
楼門(重文)前で権禰宜・村松晃男さまを囲んで記念撮影、1号車の皆様
記念写真は事務局から参加者全員、お世話になった宮司さま、京都SKY観光ガイド協会の皆様にお送りしました
高倉殿(重文)、神宝展が行われているようで、本殿参拝を終えた一行が次々と入って行かれる
白い祭幕の張られた本殿・権殿参拝の入り口。参拝者はその手前の廊下に上がり下足を預け、白い襷を首に掛け左手の控え室に入っていく。2号車一行は入ってかなり時間が経つがまだ出てこない。心配そうに幕の前で待つ四方事務局長。案内をしていただいた祢宜さまが出てこられたが、交代で入る肝心の1号車の会員の姿がない。
ここで「献上・紀州梅道中」の一行が登場。予期せぬハプニング1号車の会員の姿も行列見物の向こう側に垣間見えるが、私は続いて楼門内の撮影に回ったので連絡のとりようなし
献上・紀州梅道中に遭遇1 なんと6月6日は「梅の日」である由、上賀茂神社楼門前でバス2台の記念写真を撮り、先に2号車の一行が祢宜のご案内で神殿の参拝に入り、後の1号車の本殿参拝を待っていると、突然楼門前の太鼓橋の前後の欄干に張られた制止縄が外され・・
ホラ貝の音と共に、祢宜、山伏、法師を先導に「献上・紀州梅道中」の行列がやってきた。 「梅の日」の幟が見える。頭上に樹があり高いものは横にしないと通れない。
正僧正のあとは裃(かみしも)姿の献上者代表、烏帽子(えぼし)・水干(すいかん)姿の献上者の一行
真っ赤な日傘を横にして通る、後には大勢の晴れやかな平安京時代を思わせる、高貴な市女笠(いちめがさ)・服装の娘たちの一行
手に梅を入れた笊・花を持って市女笠(いちめかさ)をかむり、平安時代の高貴な装束の晴れやかな娘達の一行
ぞくぞくと行列がやってくる 大きな梅干し色が接近、見ただけで口の中が甘酸っぱくなる・・条件反射(フロイト)だな(笑い)
梅干しの張りぼてを担ぎ、その後から献上梅の葛籠(つづら)を担いだ、平安時代の烏帽子(えぼし)を付け水干(すいかん)姿の献上者達の一行
献上梅の葛籠接近、さらに裃(かみしも)姿の付き人たち 献上梅の葛籠(つづら)を担った烏帽子・水干姿の献上者たち
裃姿の一行 梅の笊を持ち、梅の枝を背負っている。道中配り歩いたのか空の籠を持つ女人も
つぎなるは梅の笊を持ち、梅の木を背負った梅とり姿の女人たち
続々と梅献上の一行が通り過ぎ、楼門に入っていく
楼門を通った献上梅道中の一行は、直進して石段を上がり、張られた白い祭礼幔幕をくぐり祭殿に入っていく
「食べて見てみなべの梅」と書かれた掲示を背負って梅の御菓子を配り、背負った梅の枝から梅をもいで貰う人もある。梅とり姿の女人たち 梅の御菓子を貰い、梅の実をもいでニコニコ顔の会員たち
なんと献上梅の一行の祭殿への入門時に合わせたように、本殿参拝を終えた2号車の会員たちが横から合流
梅の御菓子や枝からもいだ梅を手に持つ会員たち、してやったりとニコニコ顔の四方事務局長
 1号車の皆さんは、当参拝団担当の権禰宜の村松晃男さんに案内され、特別に東門を開けてもらいこの東門から入り、国宝本殿前での「今年の梅の献上儀式」を行列参加者以外は、入れない所から見られた諭旨、国宝権殿も見られたとの事です。精進の賜物ですね。(四方事務局長記)
事情が分からないまま四方事務局長と二人して心配していた1号車の皆様は、権禰宜・村松晃男さまのお世話で別の拝観場所に特別に案内していただいて、本殿・権殿(国宝)前での梅献上の儀式を拝見したとあとで聞きほっとする。こちらのブログを参照ださい
立砂のみえる細殿(重文)
このあとにわかに北山時雨が降り出し、参道を一ノ鳥居、のバスまで急ぐ。さすが賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)様のお守りか、次の研修先の下鴨神社に着くまでには止んで、清々しい「糺すの森」の一画「河合神社」に到着した