世界文化遺産登録 東寺(金光明四天王教王護国寺)
綾部の文化財を守る会 「京都の国宝を訪ねて」研修記1   上賀茂神社  下鴨神社   HP:綾部の文化財へ

綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は77名の参加で行われました。
早朝6時半、JR綾部駅北口で出発をまつ京都交通観光バス2台
バス乗車の最後の確認をする研修旅行世話役たち
東寺(金光明四天王教王護国寺)に予定より早く到着、案内の京都SKY観光ガイド協会のお二人が待っておられた。入門ゲ−トから記念写真の撮影場所をチェック。樹木があり五重塔の上層部しか見えない。予定の撮影場所は完全な逆光が予想され出来れば回避したい
撮影場所を駐車場に変更、2月の下見の時にはなかった「しだれ桜」が植えられ高く大きな養生の鉄パイプ被いが邪魔になる。何とかカメラ視野の端に出来る撮影位置を確保。ところが駐車場に進入する構内道路をまたぐこととなり(多人数なので整列した被写体と五重塔の背景、カメラ位置までの距離が必要)守衛の注意を受ける。あわてて何とか撮影を済ませる。日本一高い国宝・五重塔をバックにバス1号車36名、京都SKY観光ガイド協会:藤木和夫様、京都交通バスガイドさん
バス2号車41名、京都SKY観光ガイド:奥田不美男さま、京都交通バスガイドさん
京都SKY観光ガイド協会:藤木和夫様を囲んで話を聞く1号車の36名
五重塔が近づいてきた
瓢箪池がきれい
池の畔には菖蒲が咲いている
池の周りは緑の樹木が茂りその間を行く。京都SKY観光ガイド:奥田不美男さまを囲むバス2号車の41名
高い樹木の間に広がる瓢箪池の上に五重塔が見える
池の岸に咲くつつじが水面に映える
重文 東大門(不開門あかずのもん)鎌倉時代
創建年代は未詳。現在の建物は建久9年(1198)文覚上人の大勧進によって再建。建武3年(1336)6月30日、新田義貞が決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて危うく難を逃れることができた故事により「不開門」とも呼ばれている。のち慶長10年に豊臣秀頼が大修理を加えたものと伝えられる(駒札より)
五重塔から歩いてきた方向を写す。亀の乗った小石が浮かぶ
さざ波が立ち、水面に映った亀の影が面白い。よく見るとただの小石でなく亀の形の亀石だ!大亀の上に中亀、小亀・・が乗り・・大亀の下に中亀、小亀・・が沈む・・
瓢箪池の景観
逆光の五重塔
五重塔
五重塔(国宝)の如来像
南 宝生如来坐像 63.8cm、西 阿弥陀如来坐像 65.1cm、東 阿閤如来坐像 64.8cm、北 不空成熟如来 64.8cm、江戸時代寛永二十一年(1644) 五重塔は寛永十二年(1635)消失したため、同十八年(1641)明正天皇の詔を奉じて、三代将軍家光が大壇那となって寛永二十年(1643)より復興がはじめられた。過去に四度消失しており、五度目の塔となるわけである。初層内部は極彩色が施され、中央心柱を大日如来とし、四方柱に金剛界曼荼羅、四面の側柱に八大竜王、四方の壁には八祖像が描かれ、これら四如来とともに曼荼羅を形成している。寺伝では長谷川等竹筆とされている。五重塔の初層は、毎年正月三が日だけ一般公開されている。(駒札より)
五重塔 国宝・江戸時代
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です(入場パンフレットより)
五重塔に向かい、京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから説明を聞く一同
金堂に向かう
金堂前で京都SKY観光ガイド協会ガイドさんの説明を聞く2号車の一同
南大門に向かい京都SKY観光ガイド協会ガイドさんの説明を聞く1号車の一同
南大門
南大門と金堂の間に立つ、金銅製六角灯篭
木立に囲まれて立つ金堂
金堂の屋根
金堂 国宝・桃山時代
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。(入場パンフレット)
金堂・薬師三尊・十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の犬仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています(入場パンフレットより)
十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像の台座の周囲には十二神将像を配しています

講堂 重文・室町時代
東寺の創建時にはなかった講堂は、天長二年(825)弘法大師によって着工され、承和二年(835)頃には完成しました。その後大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明十八年(1486)の土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は延徳三年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています
帝釈天 国宝
金堂・講堂など内部は撮影禁止なので、諸仏像、解説などは全て入場の時にいただいたパンフレットより集録しています

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)
 「まんだら」は,仏語で本質を有するものを意味する。両界曼荼羅とは金剛(こんごう)界・胎蔵(たいぞう)界の両曼荼羅で,真言密教の二大経典である金剛頂経・大日(だいにち)経を典拠として密教修法(ずほう)のため描かれた絵画である。仏数的世界観を仏像を借りて図式化している。金剛界はかたくて壊れない金剛不壊(ふえ)の仏法世界を,胎蔵界は生成発展を象徴化し,理と智とは別物ではないという意味の理智不二,表裏一体の表現とみなしている。両者とも真言宗の本尊で万物にあまねく通ずる理智の本体大日如来を中心に,諸分身・諸眷族(けんぞく)・護法の諸神を四方に配置する。胎蔵界は累積的,金剛界は同じ大きさの九つの部分「九会(くえ)」からなる。
 両界曼荼羅は8世紀の初め善無畏(ぜむい)・金剛智(こんごうち)によってインドから中国にもたらされたとみられ,のち空海が師恵果(えか)から伝授され、806(大同元)年、唐から持ち帰ったものを正系「現団曼荼羅」とする。現存最古のものは高雄神護寺(たかおじんごじ)のもので,空海請来の転写であるが,彩色されていない。東寺のものは,もと宮中の真言院にあり,「真言曼荼羅」とよばれる
講堂内・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です(入場パンフレットより)
大日如来像 重文
不動明王 国宝
梵天 国宝
身は高野 心は東寺におさめをく
延暦十三年(七九四)桓武天皇は、動乱の中に奈良から長岡京を経て平安京へと都を遷され、羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。現在の京都は御所をはじめとして大部分が東方へずれてしまっていますが、東寺はもとの場所にそのまま残っていて一級史蹟に指定されています。東寺は左寺とも申しますが本格的に活動を始めたのは弘法大師の造営以後であります。
このお寺にはアショーカ王以来の伝統に従って、仏法によって国の平和が護られ、その光が世芥の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し仕え、共々に力を合わせ実現されていくようにとの大師の願いが込められています。東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されています。塀で区別された境内はそのまま曼茶羅であり蜜厳浄土であります。我々はそこから様々なメッセ−ジを汲み取ることができます。
大師はまた高野山を自らの修禅の場として開かれ、そこで得られた智慧を利他行として東寺で実践されました。生老病死に代表される衆生の苦悩の解決法とその生活への表現が大師の一生でありました。
大師は祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈りは妄想であるとの信念から、水なき所に池を据り、橋なき所に橋をかけ、道なき所に道をつけ、食の乏しき者には金を得る方法を教え、病む者のために良医となられたのであります。
 「弘法さん」は毎月21日、大師の今日に催される京の風物詩。境内には千軒以上の露店が並び、20万人以上の人出でにぎわいます。これは大師に寄せる民衆の信仰の深さを表わしているといえましょう。
東寺は平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、その都度、一般民衆の信仰の力によりもとの姿に再建され、とくに五重塔は古都の玄関の象徴として昔の姿をそのまに伝えて今日に至っております。
また大師の遺品をはじめとする、国宝・重要文化財は国民の宝であります。一人でも多くの方がご参拝下さって平安文化との出会いを通し今の自分を見つめ直し、明日への新しい糧を得ていただければ幸せであります
東寺境内案内図
平成6年12月15日「世界遺産条約」登録
○東寺の年中行事
初詣(五重塔初層公開)1月1日〜5日
修正会(牛玉宝印授与)1月3日
後七日御修法 1月8日〜14日
初弘法 1月21日
講堂修正会 1月28日
鎮守八幡菩薩会 春3月15日 秋11月15日
春の彼岸会 3月21日
正御影供 4月21日 灌頂院絵馬(朱馬)ご開帳
降誕会 6月15日
万灯会(盆踊り)8月15日 午後6時より
秋の彼岸会 9月21日
終い弘法 12月21日
大般若会 毎月1目
布薩会 毎月15目
御影供 毎月21目
骨董市 毎月第1日曜日

○拝観時間
夏時間/3月20日〜9月19日
 (午前8時30分〜午後5時30分)
冬時間/9月20日〜3月19日
 (午前8時30分〜午後4時30分〉
○宝物館特別公開
春季/3月20日〜 5月25日
秋季/9月20日〜11月25日
金堂を見上げながら京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから説明を聞く
南大門−金堂−講堂−食堂が一直線に並んでいる。手前:講堂、奧:金堂
講堂を後ろに食堂(じきどう)へ向かう
食堂(じきどう) 近代
僧侶が齋事に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930)12月21日消失、昭和9年4月竣工。春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である
入門ゲ−トの側には、赤い傘を立て緋毛氈を敷いた縁台を置いた、お茶屋さんもあった
大師堂(御影堂)参拝へ山門をくぐり移動する
弘法大師さまのおことば心暗きときは、すなわち遇う所ことごとく禍(か)なり、眼(まなこ)明らかなるときは途(みち)に触れて皆宝なり 性霊集
心が暗いときは、どうしても暗く受け取り、どんな幸せもけちをつけて逃してしまう。眼が明らかな時は、どんな道であっても全てが宝物のように光って見えるいつも「こころのほほえみ」をたたえている人には、この世のことが全て好ましいと目に映る。こころのほほえみは、学歴やお金のあるなしにまったくかかわりなく存在する。不幸せのさなかでも、ぐちひとつこぼさず、ほほえみをたたえている人がいる。ほほえみの人、それは人生のチャンピオンである。東寺
京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから案内を受ける
国宝大師堂(御影堂)室町時代
創建年代は未詳。弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれる。天福元年(1233)仏師康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻した大師像(重文)と、何面不動堂には大師の念持仏の国宝不動明王(秘仏)が安置され、毎月21日に沢山の参拝者で賑わう(駒札から収録)
お賽銭を供え、手を合わせる会員達
参拝をすませ、太子堂(御影堂)から出る一同
毘沙門堂山門へ
山門を通り境内に入った一行
毘沙門堂 江戸時代
天慶二年(939)平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(現宝物館・国宝)を天元元年(978)7月大風にて羅城門が倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、文政五年(1822)現在の堂を建立してお祀りした。創建千二百年記念事業で平成六年(1994)に修復された
京都SKY観光ガイド協会ガイドさんから説明を聞く
参拝・格子から安置仏を拝見する
毘沙門堂
拝殿参拝中
石碑を前に京都SKY観光ガイド協会ガイドさんの解説
石の亀に乗った大きな石碑を読む会員
三面大黒天に参拝中の会員
大黒天は大地の神で、大地は糧を表し、土は槌で表され、それを振ると福寿円満が訪れます。毘沙門天は、四天王の北方の守護神で、財宝を司る神です。弁財天は、インドでは河の神で弁舌・音楽・技芸上達の神です。その三体の天神が合体したのが三面大黒天で、東寺・大黒堂にお祀りされているのは、お大師様作の像と伝えられています。我々の誓願をことごとく成満し、お救いいただける、この三面大黒天と御縁を結ばれ、無上の大功徳の霊験をお授かり下さい。大黒天・毘沙門天・弁財天 三尊のご利益が一度に授かれます。(駒札より)
東寺・金堂を見上げる。東寺の研修について、朝の交通が順調で時間が余り、京都SKY観光ガイド協会ガイド様のご厚意で毘沙門堂と南大門を見学コ−スに加えていただいた
金堂
南大門
八幡社殿
796年創建、平安京と東寺を守護する為まつられたが、明治元年(1868)焼失、平成3年に123年ぶりに再建。本尊は檜材の一木造りで一本の巨木から弘法大師作と伝えられる。僧形八幡神坐像と女神坐像二躯の三躯が安置されている。足利尊氏が東寺を本陣としていた時、鎮守八幡宮の神殿から流鏑(かぶらや)が新田勢に向かって飛び、勝利を収めた故事は余りにも有名である
修業大師像 :修行大師様にお花を上げましょう
八島神社(八島殿)
祭神は東寺の地主神とも、大己貴神(おおなむちのみこと)とも言われる。八島社というのは、わが国を大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)と言うところから起た社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており、弘法大師は、この神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち、この神へ寺門造立成就、方位安全、法道繁盛の祈願をされ、地主神とあがめられたと伝えられる。(駒札より)
八島神社
南大門に集合してガイドさんから説明を聞く
南大門は市道への出入りができる。五重塔を見上げる
東寺・金堂まえの金銅製六角灯籠
緑に囲まれる東寺・金堂
太子堂(御影堂)に通じる広い参道
2台のバスに乗り昼食に出発。五重塔が、春に植えられた「しだれ桜」の養生囲いに遮られて見える
○昼食は「アミタ本店」でとりました
昼食は岡崎平安神宮北の「アミタ本店」で京料理を食べた。大型バスが2台、市道から本店横のトンネルのような路地をバックで通り抜け駐車できた
お土産を買い求める会員も大勢いた
一階フロントロビ−では「京象嵌」の実演をされていた
細かな「京象嵌」作成作業を見守る会員たち
階奧の京都美術品展示店でも「京象嵌」作成の実演をされていた。囲んで見学する会員たち